墜落した哨戒機が輸送した血液を投下する予定だった「×」印の場所辺りを左手で、らんかん山(中央右)の墜落場所を右手で指さす本田さん=2日、奄美市の名瀬港中央ふ頭付近 1962年9月3日、救急患者のための血液を県本土から輸送してきた海上自衛隊の哨戒機が名瀬市(現在の奄美市名瀬)の「らんかん山」にぶつかり矢之脇町側の斜面に墜落した。きょうは事故発生後60年の節目。本紙記事や目撃、被災者の証言から当時を振り返り、改めて惨事の記録と記憶をたどる。 ■ごう音、炎上、13人死亡 当時の本紙報道や目撃証言などによると、午後4時50分ごろ、海自P2V対潜哨戒機が名瀬に飛来した。哨戒機は搭乗員12人と県立大島病院で手術に使う輸血用血液を搭載。当時、奄美大島は空港がなく、哨戒機は名瀬港中央ふ頭に血液を投下する計画だった。 北側から低空飛行で名瀬湾に進入した哨戒機は、投下地点へ回り込もうと市街地上空で右旋回を開始