ブックマーク / kasasora.hatenablog.com (13)

  • 素直で笑顔で気がきいて - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにわたしの職場にもリモートワークが導入され、出社しても顔を合わせる会議は最低限になった。飲み会はもちろんない。そのためにわたしはしばらく水木さんにつかまらずにすんでいた。 水木さんはわたしの同期であって、とてもいい人である。やわらかな笑顔を絶やさず、細やかな気遣いをみせ、辛抱強くがんばりやで、後輩の面倒見もよい。 でもわたしは彼女とあまりかかわりあいになりたくなかった。 十年と少し前、わたしと彼女はともに新入社員だった。一年目はなにしろわけがわからないものである。だからたいていのことはいったん「そういうものか」と受け取って、あとで検討することにしていた。 わたしは仕事が終わると毎晩「私的日報」と名付けたファイルをひらいて、その日に覚えたことのほか、確認検討すべきことを書き留めた。たとえば「隣の部署のお茶出しを頼ま

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  • あなたブスでモテないんでしょ - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにわたしはあなたにずっと会っていない。 オンラインで飲んでるって? あんなの会ってるとは、わたしは言わない。通話に近いと思ってる。あなたはオンライン飲みも「会ってる」にカウントするけどね。なんせアイドルのコンサートに行って「誰それに会った」って言うような人だからね。 あなたはアイドルに会ってないですー。見ただけですー。観覧しただけですー。会うっていうのはお互いがお互いを個別に認識してコミュニケーションが成立した状態を指すんですー。アイドルはあなたなんかどうでもいいんですうー。 あなたはオンラインで愚痴をこぼす。出会いがないという、いつもの愚痴だ。彼氏ほしいってあなたは言う。それなのにアプリでのアピールはど下手。あのさあ、自信がないない言いながら自信がないまま薄ぼんやりしたビジョンで彼氏作ろうとして何になるのよ。女

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  • 雑で速いやつに対する説諭 - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。弊社ではそのために些末な打ち合わせもオンラインでおこなわれ、皆が慣れてきた今となってはリアルタイムの共同作業も気楽に実施されている。日は上司からの資料レビューであった。 上司:急ぎでイレギュラーな仕事やってもらっちゃってごめんね わたし:いえいえだいじょうぶです 上司:こういう差し込みの仕事、ガッてやってバッて出してくれるのほんと助かる わたし:いやあ、この程度でよろしければ 上司:あのね、できればこの程度じゃなくしてほしい 上司:あなたの仕事はいつもスピーディで対応も柔軟で素晴らしい。でも雑 わたし:あっそれが題ですね 上司:うん。赤字のところ見ておいて。とくに数字の誤字は致命的だからね。あと図の作りとレイアウト。せめて余白を左右対称にしてほしい。総じて雑 わたし:承知しました。赤線ありがとうございます。すごく直し

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  • さよなら、わたしのシモーヌ - 傘をひらいて、空を

    シモーヌとは十四年のあいだ一緒に暮らした。シモーヌは冷蔵庫である。名の由来は冷凍庫に霜が降りることであった。わたしの家に来る友人たちが「いまどきそんな冷蔵庫があるのか」と話題にし、誰からともなくシモーヌと呼びはじめ、わたしもその名を使うようになった。 シモーヌはわたしと出会った段階ですでに新しい冷蔵庫ではなかった。大学を卒業して寮を出るとき、一人暮らしをやめる友人からもらったのである。大学生の一人暮らし用としては大きめのサイズだった。わたしは自炊をするのでありがたく貰い受けた。 はじめて一人暮らしをした部屋の中のものはみんな貰い物だった。家具も家電も買った覚えがない。そうした大物にかぎらずわたしはよくものを貰う人間だった。貧しかったからかもしれない。自分では「愛されているからだ」と言っていた。わたしを嫌いな人からは「乞の顔をしているからだ」と言われた。正直なところ、どちらでもかまわなかっ

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  • いつも死にたい一族 - 傘をひらいて、空を

    知人のお祝いに出かけた。役職が上がると聞いているので、そのお祝いである。今年から娘さんが私立中学に上がったので、遅ればせながらそのお祝いもかねるということで、四年ぶりにご自宅にお邪魔する運びになった。 冬の街をデコレーションするのは寒いからである。私はそう思う。クリスマスとかお正月とかのせいではない。寒くてやってられないからクリスマスとかお正月とかを言い訳にして飾りつけをするのだと思う。だって五月や十月ならきらきらさせなくても楽しいもの。世界がいつも五月と十月ならいいのにと言ったのは誰だっけ。 小学校で受験する人は半分以上が親の受験みたいなものらしいですけど、と彼女は言った。高校だとほぼ人の受験ですよね。お金だとか環境だとか、間接的なものは、親が整えるので、スタートラインの段階でハンディがある子はいっぱいいますけど、受けるのは人です。中学受験は、その中間くらいでしょうかねえ。 じゃあま

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  • シンデレラボーイの妻 - 傘をひらいて、空を

    夫のことをよく知らない。 夫と知り合って十五年、結婚して十二年になる。わたしは夫の仕事の内容や給与や日常のルーティンやべ物の好みを知っている。何に対してセンシティブで何について無関心かだいだい把握している。暇になるとすることのパターンもわかっている。小学生の息子に対する教育方針を話し合う過程で新しくわかることもある。夫婦の会話は多いほうだと思う。 夫は繁忙期だけ帰りが遅い。この時期は夜半まで帰らない。息子が宿題の話をする。自分のルーツを知る、というような宿題が出ているのだという。ルーツ、とわたしは思う。 そして思い出す。わたしは夫の過去を知らない。夫の親や親族に会ったことがない。夫の古い友だちに会ったこともない。それどころか新しい友だちにも。わたしは夫のことを、実は知らない。わたしと一緒にいるのではないときの、夫のことを。 そんなことって、あるんですか。友人が言う。あるんですとわたしはこ

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  • セフレですよ、不倫ですよ、ねえ、最低でしょ - 傘をひらいて、空を

    仕事の都合で別の業種の女性と幾度か会った。弊社の人間が、と彼女は言った。弊社の人間が幾人かマキノさんをお呼びしたいというので、飲み会にいらしてください。 私は出かけていった。私は知らない人にかこまれるのが嫌いではない。知らない人は意味のわからないことをするのでその意味を考えると少し楽しいし、「世の中にはいろいろな人がいる」と思うとなんだか安心する。たいていはその場かぎりだから気も楽だし。 彼らは声と身振りが大きく、話しぶりが流暢で、たいそう親しい者同士みたいな雰囲気を醸し出していた。私を連れてきた女性はあっというまにその場にすっぽりはまりこんだ。私は感心した。彼女は私とふたりのときには同僚たちに対していささかの冷淡さを感じさせる話しかたをしていた。 どちらがほんとうということもあるまい。さっとなじんで、ぱっと出る。そういうことができるのである。人に向ける顔にバリエーションがあるのだ。私は自

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  • 「生んでくれてありがとう」 - 傘をひらいて、空を

    生んでくれてありがとう。 息子が言う。保育園の卒園式のことである。子どもたちがひとりひとり保護者にメッセージを伝える。なにぶん六歳だ。自分だけで考えたら、要領をえない、しどろもどろの、あるいは日常的な発話になる。でも式典はスケジュールが決まっているから子どもたちはひとことずつしか口にできない。順番に、滞りなく、全員が、みじかい決め台詞を言う。そういう場だから、文言はだいたい決まっている。「送り迎えしてくれてありがとう」というのがもっとも多い。その中でわたしの息子は「生んでくれてありがとう」と言った。 わたしは反射的に口を手で押さえる。その手をスライドさせて目の下と鼻と口を覆う。表情の細かい伝達を隠し、かつすごく感動しているように見える姿勢をつくる。隣のママ友が言う。まあ、なんてこと言ってくれる子かしら、こっちまで泣いちゃう。ほどなく園児たちはそれぞれの親のところへ行く。わたしはめいっぱい嬉

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  • かわいいを作れない - 傘をひらいて、空を

    彼女は美容師である。都心の、美容室とギャラリーとファッションブランドが延々と並ぶ街で働いている。彼女のキャリアは結構なものだし、料金も高めなので、主なお客は二十代半ばから三十代の、美容に関心の高い女性だ。キュートなスタイルが得意で、美容室の口コミには「かわいくしてもらった」「大人かわいく」といった文言が並ぶ。 かわいさは絶対、引き出せます、と彼女は言う。わたしは、とにかくその方のお話さえ伺えれば、かわいくできる自信あるんで、いや、綺麗とかでもいいですけど、ええ、言ってることわかりますよね、うん、かわいいは作れる。 かわいくできなかった人はいないのかって?あっはっは、いー質問ですねー、うん、ゼロではないっすね。お話さえ伺えればって、さっき言ったでしょ、あのね、世の中には、聞いても聞いても「かわいい」の中身が出てこない方がいらっしゃいます。特定のお客さまの噂話はしない主義なんで、今からする話は

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  • バスタブの桃 - 傘をひらいて、空を

    丸ごと皮を剝いた桃を片手に湯船につかる。指の腹に果汁がじんわりしみる。肩から下の温度を感じながら白い桃を眺める。それからがぶりと噛みつく。わたしが動くと湯気がぼわりと揺れ、浴室に桃の匂いがたちこめる。入浴剤ともハーブのオイルともちがう、気性の激しい果実の香り。わたしは鼻孔をひらき、口をひらき、まぶたをゆるめ、歯を剥きだしにして桃をべる。 わたしが小さかったころ、「お行儀のない日」という祝日があった。親が口にする冗談みたいなもので、国民の祝日ではない。でも未就学の小さな子どもにとって、自宅での特別な日はそれと同じようなものだ。「お行儀のない日」は一年に二回くらい来た。今にして思えば、それは母とわたしをとても親密にした。 わたしの基的な生活習慣を躾けたのは父だった。父はまめな男で、家にいるときはしばしば掃除をしていた。手を洗うついでにシンクに残った器を洗うような人だった。幼いわたしは父に

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  • さみしいってちゃんと言え - 傘をひらいて、空を

    べっとりと貼りつくような声に受話器を遠ざける。思わず顔をしかめて、胸が悪くなるような嫌悪感を自覚した。どうしてこんなに強い嫌悪感があるのか、電話対応をしながら自分の中を探った。不愉快で強い感情はしっかりとモニタリングしたほうがいいと私は考えている。打ち消すのではなくて、見ないふりをするのではなくて。 部下が急病で入院したということで、同居している母親から電話がかかってきた。社員の病欠時、家族から会社に電話してもらうのはいっこうにかまわない。まったく問題ない。でも詳細な病状を教えてもらう必要はない。倒れる前のようすから現在の症状の詳細まで身体の具体的な描写を織り交ぜて話す必要はない。それは部下人のプライバシーであって、親御さんが勝手に私に話していいことじゃない。そう思う。 私は通常の電話ではしない強引なタイミングで話に割り込み、詳細を話す必要はないこと、社内で必要な連絡はしておくことを伝え

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  • マイノリティに科せられる罰金 - 傘をひらいて、空を

    マニュアルも前例も上長もあてにならないトラブルが生じたので先輩を訪ねた。先輩はわたしの切り札である。わたしより十ばかり年長の女性で、とても頭の切れるひとだ。無駄口をきかず無愛想でとっつきにくく、同じ部署の人によると、誰が居残っていても自分の仕事が終わればさっさと帰るのだという。話すとおもしろいし、実は親切で、わたしは好きだった。 先輩からインフォーマルな情報を仕入れ、わたしの考えを聞いてもらい、最終的な判断は保留にして(先輩はわたしが自分で判断することを好む)、それからわたしはお礼を言う。こうやって助けていただくのって一年ぶりくらいでしたっけ。いつもありがとうございます。わたし、初の女性管理職という名目でいろいろ押しつけられちゃってるんですよ。ほんとうなら先輩が先にそうなってるはずなのに、さては先輩、断りましたね、わたしくらいのときに。 断っちゃいないわよ。先輩はにこりともしないまま答える

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  • 被差別売ります - 傘をひらいて、空を

    もてるよねえと女たちは言う。可愛いものねえと私も言う。そんなことないですよおと彼女はこたえる。その回答はありふれているのにとても愛らしく、ちょうどいいタイミングで、ちょうどいい視線とともに発せられる。私は感心して、それから、言う。ねえ、もう会社辞めるんだし、いま利害関係のある人は残っていないでしょう。もてる秘訣でも教えて頂戴よ。なにしろ今日は女子送別会。あなたが女性ばかりで行きたいと言ったときにはちょっとびっくりしたけど、まあ、わかるよ、あなたはもてるから、退職ともなると男どもがいつにもましてうるさくて、そしてあなたがうるさくしてほしい人はうちの会社にはもういないってことだよね。 彼女はうふふと笑う。ワイン、もう一、ボトルで取っちゃおうか、と私はけしかける。いいですよ、私は先輩だから、リストのこのあたりまでならご馳走できますよ。彼女は絶妙なタイミングで顔の前に手をあげてそれを動かし、否定

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