「あてにならない当局発表」の比喩として、いまも盛んに使われている大本営発表。もともとは、日本軍の最高司令部・大本営によって行われた戦況の発表をいった。最終的にそこでは、敵戦艦の撃沈が4隻から43隻に、空母の撃沈が11隻から84隻に水増しされ、反対に、味方戦艦の喪失が8隻から3隻に、空母の喪失が19隻から4隻に圧縮された。そのデタラメぶりがあまりにひどかったために、戦後70年以上がすぎてなお、さまざまな場面で引き合いに出されつづけている。 それにしても、アジア太平洋戦争下の国民は、大本営発表をどれくらい信じていたのだろうか。現在から振り返れば、このような虚報を無邪気に信じていたとは思えない。ただ、その実態は意外とつかみにくい。というのも、世論調査にあたるものが当時あったわけではないからだ。 当然ながら、戦後の回想は使いづらい。「信じていた」という証言は「だまされていた。したがって責任はない」
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