前回のエントリーに対し、yellowbellさんから「集合知は作り上げる側でなく利用する側にこそ、能力が求められている。だからこそのリテラシーだろう。」とのはてなブックマークコメントをつけられました。 しかし、読み手に高度のリタラシーを求めるメディアというのは、情報サービスとしての価値が低いといわざるを得ません。「嘘を嘘と見抜けなくとも構わない」場面でしか使い道がないとしか言いようがないです。 また、読み手に高度のリタラシーを求めることをもって弊害への対処とする手法は、実際にそのような高度のリタラシーを有しない読み手が存在する現状においては、対処法として不十分であると言うことができます。例えば、学校裏サイトで酷いデマを流された学生に、「リタラシーの高い読み手は、『嘘を嘘と見抜いている』から、気にしなくとも良い」と言ってみても何の慰めにもなっていないし、2ちゃんねるで「スーパーフリーのメンバ
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