そもそも、今回の裁判自体は、JASRACの「指摘」を受けて、著作権侵害に当たらないという確認のための提訴をMYUTAが行った、というもののようです。指摘ってのは、実質「止めろ」という要求であり、止めなかったら訴える、という流れになったんじゃないかと思いますが、それも今となってはわからない話です。 追記:実際にJASRACが行ったのは差止請求らしいですね。追記終わり さて、タイトルの陰謀論。こういう話を考える人もいるんじゃないかな。ここ最近のもろもろの流れから言うと、ありえないことではないと感じるだろうし。蛇がいるのを知っていて藪を突くという行為は、蛇と突付く人がぐるになっていて、噛まないという約束が出来ているのであれば、自分たちが痛い目を見ないで、それを見ていた人に対しての威嚇ができるわけです。入ってきたら噛むよって。 外堀を埋めているように受け取られているのはでも単にグレーゾーンをちゃん
現在日本の芸能界を騒がせている「著作権」関係の2大騒動と言えば、「盗作」騒動の槇原敬之氏(歌手)VS松本零士氏(漫画家)と、「『おふくろさん』は森進一には歌わせない!」騒動の川内康範氏(作詞家)VS森進一氏(歌手)だ。 元々「会って話し合い」をすれば何とか解決していたかもしれないものなのだが、方や裁判、方や「会いたくない」となっており、もはや修復不可能の状態になってきている。 何とか彼らに仲良くなってもらいたい……、そう考えた本誌編集部は緊急座談会を開催。どうすれば問題が解決するかを検討することにした。 A:今回の件で参考になるのは、漫画「美味しんぼ」だと思う。 B:どうして? A:なぜなら、「美味しんぼ」では何か問題が発生した時に、「食べ物」ですべてを解決する。たとえば、一旦離れてしまった夫婦の仲をより戻すために、「かつて共同作業で作った韓国風ネギ焼きを作る」アレンジをしたり、
Wiiのネットサービスの規約中に、Wiiのネットワークを通ってWiiで出力された全てのコンテンツは任天堂の著作物になる事を同意させてる件って、どんだけ知られてるんだろう。 うはwJASRAC管理物全部が任天堂の著作物になってウマス!
TERRAZINE - ファンをないがしろにする著作権なんて死んでしまえばいいのにを読んで。 松本零士を批判しているのに、なぜ最後の文章がいきなり「著作権なんて無くなってしまえ」になってるんだろう?「松本零士は少し頭を冷やせ」とかじゃなくて。 権力を濫用する人間は必ず出てくるので、じゃあ著作権自体を見直さないと、という話の流れが抜けているのかな。 … 『ドラえもん 最終話』を小学館は「広まってしまったので無視できなくなった」としている。問題視する真の理由は稼ぎすぎたため、という意見はあちこちで見かけるけど、個人的にはそれが第一ではないと思う。 例の最終話Flashを見る限り、絵も似ていてストーリーもまともで、オリジナルと間違われる可能性があるように思った。(最終話Flashには、これが同人であるという断りもなかったように思う) パロディは、オリジナルでないことが明らかに分かる範囲で行われな
先日の「著作権は財産権ではない」という記事には、意外に多くのアクセスがあったが、わかりにくいという批判もあったので、もう少しわかりやすい例で補足しておこう。 私は、かつてテレビ局で番組を発注・契約する立場にいたこともあるし、フリーで番組制作を請け負ったこともある。その経験からいうと、日本のコンテンツ産業の最大の問題は、著作物の利益が法的に保障されないことではなく、それが仲介業者に搾取され、クリエイターに還元されないことである。クリエイターの大部分は、フリーターとして低賃金・長時間労働で酷使されている。著作権の強化は、彼らにとっては意味がない。もともと権利は企業側に取られるしくみになっているからだ。 極端なのが映画である。かつては映画の興行収入は映画館がまず50%取り、残りの半分を配給会社が取り、あとの25%を制作会社が取るという配分が不文律になっていた。テレビの場合にはもう少しばらつき
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く