今にも動き出しそうである 19~20世紀にかけて海底炭鉱の島として栄え、1960年(昭和35年)の最盛期には、島の人口は5300人を超えていたものの(東京都の約9倍の人口密度であった)”石炭から石油へ”というエネルギー革命によって、1974年に閉山した軍艦島(長崎県長崎市・端島/端島炭鉱)。40年近くも無人島となっていた島が今、脚光を浴びている。 軍艦島を真横から見ると、戦艦のような姿をしていることに気づかされる。軍艦島は、戦艦・土佐にその姿が似ていることから、このように呼ばれるようになった。長崎市が管理するようになったのは、2005年のこと。2001年に三菱マテリアルから高島町(当時)に無償譲渡され、2005年に長崎市に高島町が編入された。その後、長崎市の条例によって立入禁止区域に指定されると、元・島民でさえも簡単に上陸できないようになった。 軍艦島には、日本近代化の黎明期を象徴する建築