2012年5月20日のブックマーク (2件)

  • 【写真あり】徳川幕府最後の将軍が、意外と余生をエンジョイしていた【教科書に載ってない】

    徳川慶喜は大正2年、いまから約100年前まで生きていました。実は明治維新後の人生の方が長かった徳川慶喜の、“その後”は意外なものなんです。 徳川幕府最後の将軍といえば、徳川慶喜。 りりしいです。 在位わずか一年で幕府が崩壊。死罪必至でしたが、勝海舟らの交渉でなんとか免れました。さて、その後、慶喜は明治〜大正時代にどんな人生を送っていたのか? 最後の将軍は趣味に生きました。 当に多彩な趣味を持っていたのですが、たとえば、写真撮影。 カメラを持って、よく屋外に撮影に出かけたそうです。実際に徳川慶喜が撮影した写真は現代にも残っています。たとえばこれ↓ けっこう熱心で、当時人気だった写真雑誌『華影』にもたびたび投稿していましたが、なかなか採用されなかったそうです。 そして、油絵。慶喜の腕前はこちら。 結構上手いように見えるが、どうなんでしょう!? そして、ちょっと変わった趣味では、慶喜はなんでも

    【写真あり】徳川幕府最後の将軍が、意外と余生をエンジョイしていた【教科書に載ってない】
    mirinon
    mirinon 2012/05/20
    日本ではじめて自転車事故起こした人なんだっけかw それにしても写真の構図も絵も多趣味の中の一つにしてはすごく上手いように見えるんだけど…ご本人のセンスはもとより教養が半端なかったんだろうなあ
  • 渡瀬悠宇が語る“厳しい現実と戦う比喩”としての『ふしぎ遊戯』と創価学会【前編】 - ハピズム

    真っ白な紙の上に新たな世界を創造していくマンガ家たち……そんな彼らに、作品づくりを通して体験したスピリチュアルな世界や、作品に込められた思いについて話を聞く不定期インタビュー連載がスタート! 記念すべき第1回は、『ふしぎ遊戯』などで知られる渡瀬悠宇先生にお話をうかがった。初めて明かしてくれた自身の信仰と作品の関係、そして、そこに込められた子どもたちへの強いメッセージとは……? 『ふしぎ遊戯 玄武開伝』(小学館)より/(c)渡瀬悠宇/小学館 ――早速ですが、まずは渡瀬先生のルーツについて教えてください。先生がマンガを書き始めたのは、何歳くらいの頃ですか? 渡瀬悠宇(以下、渡瀬) 絵を描き始めたという意味では、2歳くらいですかね。母によると、その頃から絵に対する執着がものすごい子だったみたいです。それからコマを割った“マンガ”を描き始めたのが5歳くらい。それからずーっと描き続けて、小学校5~6

    渡瀬悠宇が語る“厳しい現実と戦う比喩”としての『ふしぎ遊戯』と創価学会【前編】 - ハピズム
    mirinon
    mirinon 2012/05/20
    キリスト教も創価学会もアレフでさえも、教義だけならどれも良いと思うけど。とりあえず後半期待