俺空力学, 三瓶由布子 なんか航空力学の人*1の最近のやばさに触発されて俺もなんかやばいエントリ上げたくなった。 最近になって小西康陽の真価が分かってきて小西の女性への提供曲オムニバスが最近のお気に入りで、今どきのPerfumeとか木村カエラとかが嫌いな俺が今、一番推しているアイドルは、むろん三瓶由布子さんだ。声優だ。しかも、もはやアイドル声優のたぐいですらない。 毎週ラジオ聞いて*2欠かさずメール出してっからね。もはや声優なのにオタク趣味も薄い普通のお嬢さんの大してオチもない話なんてこんなところでしか聞けないぞ!けなしているように聞こえるかもしれないが、そんなことはない。10年ずっと聞いてる深夜の馬鹿力より楽しみにしてる。そこには文脈を作って無理に笑わせようとするある種の暴力の磁場もないし、「ほらぼくのトークってこんなにスタイリッシュでしょ」なんてスノッブさを競うような愚鈍さもない。普
たまごまご氏のエントリ創作活動と「晒されたもの負け」の恐怖。 - たまごまごごはんに端を発した「晒し」をめぐる論争がどんどんカオスなことになっていますが、それを眺めながら僕は論争の本筋(たぶん表現者と呼ばれる人々がどこまで叩かれる覚悟をすべきなのかということ)とは全然違うことを考えてました。「キモい」についてです。僕のブコメをいちいち追っているストーカーみたいな人以外はどうでもいいでしょうけど、論争をめぐるブコメのいくつかで僕はたぶん他のコメントから浮くくらい「キモい」について語ってます。みんなの「キモイ」についての考え方に、僕はすごく違和感を感じるんです。僕はこれを非常に大きな問題だと思っているので、本来このブログをそういう場所にする予定はなかったのだけど、思っていることを書き散らしたいと思います。どうせ泡沫ブログだし。 「キモい」はただのdisりじゃない。 最初に僕が違和感を感じたのは
この前、知人と一緒に「情報の暴露」に関して歩きながら話していました。 個人的な付き合いで知り得た情報を、本人の了承無く、本人の意図しない公開された場所で暴露してしまう人がネット上で増えているのではないかという話題でした。 そこで、「そういった点に関しての情報リテラシ教育も必要なのかも知れませんね」という発言をしたところ、「それはリテラシの問題ではない。むしろデリカシーの問題だ」と言われて、今までモヤモヤとしていたものが急に晴れた気がしました。 確かに、個人的に経験した「他人による嫌な暴露」は、情報リテラシが高いと思われる人によって行われていました。 「何をされると人が嫌がるか」という視点が欠けているというのは、リテラシというよりも、デリカシーだと言われると非常に納得できます。 リテラシが高くてデリカシーが無い人が怖い オフ会などで同席して最も怖いのは、情報リテラシが非常に高くてデリカシーが
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