私は「エヴァ」にも「lain」にもノれませんでした。疎外と孤独を扱っていればアニメやゲームとして認められてしまうところが、この業界の19世紀的な幼稚さです。あの手のモノが、ぼくは大ッッ嫌いです。(『伊藤計劃記録』伊藤計劃、二〇一〇年) 1 このところ、批評の世界ではゼロ年代の表現史を総括する言説が増えている。そのきっかけとなったのは周知の通り宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』(二〇〇八年)だが、それに対してはこれまで賛否両論あった。とりわけ問題になっているのは、そこで宇野が問題にしたセカイ系なる概念だ。本稿は、この概念が流行し、また衰退していく時代の文学表現について、ジャンル論・ジャンル史の観点からまとめるものである。 まずは、宇野を批判的にとらえながら、セカイ系を総括した前島賢の『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』(二〇一〇年)を手引きにして議論をはじめることにしたい。 通常考えら