野島直子氏著『ラカンで読む寺山修司の世界』が面白い。ある程度ラカン論を理解していないと、寺山修司という個人像そのものに影響を与えかねない内容だが、タイトルにラカンを冠していることだしまあいっか、と。それに、寺山修司という人は2ちゃんの「コテは叩かれてナンボ」的な「誤解されてナンボ」な人だとわたしは勝手に思っているので、割とすらすら読めた。 「個人像に影響」と書いたが、それはたとえば、第二章の「デビュー作の模倣問題と鏡像段階」に関して。これは現代風に言えば「中二病」である。寺山への人格批判的な論に対抗しての叙述であるので仕方ないところはあるかもしれないが、「ちょっと擁護し過ぎじゃない?」とほんのり思ってしまう。「特別じゃなく、普通の少年としての寺山」みたいなことなんだろうけど、誤解生みそうかな、とふと思ったりもした。 なんか、父殺しが難しい日本社会では、倫理的なもの(父の名「とか」)を求道す