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バルトに関するmisui-shiのブックマーク (2)

  • エクリチュールについて(承前) - 内田樹の研究室

    エクリチュールについて(承前) ロラン・バルトのエクリチュール論そのものが、そのあまりに学術的なエクリチュールゆえに、エクリチュール論を理解することを通じてはじめて社会的階層化圧から離脱することのできる社会集団には届かないように構造化されていた・・・というメタ・エクリチュールのありようについて話していたところであった。 同じことはピエール・ブルデューの文化論についても言える。 『ディスタンクシオン』もまた、(読んだ方、あるいは読もうとして挫折した方は喜んで同意してくださると思うが)高いリテラシーを要求するテクストである。 おそらく、ブルデュー自身、フランス国内のせいぜい数万人程度の読者しか想定していない。 自説が理解される範囲はその程度を超えないだろうと思って書いている(そうでなければ、違う書き方をしたはずである)。 だが、「階層下位に位置づけられ、文化を持たない人には社会的上昇の

  • エクリチュールについて - 内田樹の研究室

    クリエイティブ・ライティングは考えてみると、私が大学の講壇で語る最後の講義科目である。 80人ほどが、私語もなく、しんと聴いてくれている。 書くとはどういうことか。語るとはどういうことか。総じて、他者と言葉をかわすというのは、どういうことかという根源的な問題を考察する。 授業というよりは、私ひとりがその場であれこれと思いつくまま語っていることを、学生たちが聴いているという感じである。 「落語が始まる前の、柳家小三治の長マクラ」が90分続く感じ・・・と言えば、お分かりになるだろうか。 昨日のクリエイティヴ・ライティングは「エクリチュール」について論じた。 ご存じのように、エクリチュールというのはロラン・バルトが提出した概念である。 バルトは人間の言語活動を三つの層にわけて考察した。 第一の層がラング(langue) これは国語あるいは母語のことである。 私たちはある言語集団の中に生まれおち、

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