星ヶ岡茶寮(ほしがおかさりょう・星岡茶寮)とは、東京都千代田区永田町2丁目(当時は東京市麹町区)および、大阪府豊中市曽根にあった、北大路魯山人にゆかりのある料亭である。 明治時代の東京星ヶ岡茶寮 茶寮のあった土地は元々日枝神社の境内に属した小高い丘にあり、夜には星がよく見えたことから「星ヶ岡」と呼ばれていた。ところが、明治維新による江戸から東京への変化の中で周辺の住民構成が大きく変わり、氏子が減少した日枝神社は社域を維持することが出来なくなり、境内の一部を東京府に寄付することとした。東京府は1881年(明治14年)ここに麹町公園を設置して東京市民の憩いの場として提供することとした。 ところが、この地を訪れた三野村利助・奥八郎兵衛・小野善右衛門らは、公園の一部が非常に風光明媚な場所であるとして、この地に茶寮を開いて要人達の会合の場とすることを岩倉具視らに提議した。1881年(明治14年)6月