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2016年1月30日のブックマーク (2件)

  • 椰子の実 - Wikipedia

    愛知県・伊良湖岬(恋路ヶ浜) 「椰子の実」(やしのみ)は、島崎藤村が明治時代に執筆した詩。昭和に入って曲が付けられた。 1900年(明治33年)6月の雑誌『新小説』に「海草」という総題で発表された誌の一遍で[1]、1901年(明治34年)8月に刊行された詩集「落梅集」に収録されている[2][3]。この詩は1898年(明治31年)の夏、1ヶ月半ほど伊良湖岬に滞在した柳田國男が恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実の話を藤村に語り、藤村がその話を元に創作したものである[4][5][6][7]。 「椰子の実」 名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子(やし)の実(み)一(ひと)つ 故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月(いくつき) 旧(もと)の樹(き)は生(お)いや茂(しげ)れる 枝はなお影をやなせる われもまた渚(なぎさ)を枕(まくら) 孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ 実(み)をとり

    椰子の実 - Wikipedia
  • 南洋幻想 - Wikipedia

    ハワイ・オアフ島 南洋幻想(なんようげんそう)とは、寒冷な地域に出生した人が「南の島」や「南洋」に憧れを抱く感情、あるいはその概念。または、日人がそれらの言葉を耳にした際に沸きあがる共通したイメージや感情、概念[1][2]。「南洋」、「南国」、「南の島」あるいは単に「南」と称する場合もある。 背景[編集] 柳田國男が「南島は我々の故郷」と指摘しているような、あるいは島崎藤村が『椰子の実』で詠いあげているような[3]、日人が南洋に特に強い思い入れを寄せるようになるのは明治以降であり[1]、それ以前は西方浄土や蓬萊山といった他の伝承と同じ宗教的な異界思想のひとつに過ぎなかった[1][4][5]。その後の鎖国政策において、日は朝鮮・琉球を「通信の国」、中国・オランダを「通商の国」と位置付け、日を世界の中心として物事を視るという考えを一般庶民へ植え付けた[6]。江戸時代から培われた一種異様

    南洋幻想 - Wikipedia