『世界教養全集1』 Tr:豊川昇 Pb:平凡社(HeibonSha) 1961 「哲学物語」 W・デュラント 『世界教養全集2』 Tr:関根秀雄/他 Pb:平凡社(HeibonSha) 1962 「随想録」 ミッシェル・ド・モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne)Tr:関根秀雄 「箴言と省察」 ラ・ロシュフコーTr:市原豊太/平岡昇 「パンセ」 ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)Tr:松浪信三郎 「覚書と随想」 サント・ブーヴ(Charles Augustin de Sainte-Beuve)Tr:権守操一 『世界教養全集3』 The Author:倉田百三/他 Pb:平凡社(HeibonSha) 1960 「愛と認識との出発」 倉田百三 「無心ということ」 鈴木大拙 「侏儒の言葉」 芥川龍之介 「人生論ノート」 三木清 「愛の無常について」 亀井
光と影のヒロイズム 「ICO」の「手をつなぐ」ことの意味 手をつなぎ、そして守るエゴ 「ICO(イコ)」とは、頭に角が生えているために生贄となることを運命づけられた少年の名だ。生贄になるべくつれて来られた城で、イコは檻に閉じこめられた少女と出会う。言葉の通じない彼女を檻から出し、影のような怪物に襲われる彼女の手を引いて、ともに城から脱出しようとする。襲ってくる影から少女を守り、少女が通れるようにルートを作る。 適切なルートを構築していくパズルのような楽しさと、光と影が織りなす風景の美しさ、余分なBGMを廃した自然音…そういったものが、このゲームの魅力として語られている。だが、それだけなのだろうか。 そもそも最初の段落で述べたプレストーリーだけで「よし、守ろう!」という気になるものだろうか。イコは、そしてプレイヤーは、なぜ少女ヨルダを守ろうと思うのか。なぜそのように動機づけられるのか…
『筑摩世界文学大系1』 Pb:筑摩書房(Chikuma Shobo) Co:三笠宮崇仁 1978/4 古代オリエント集 「シュメール」Tr:五味亨/杉勇 「アッカド」Tr:後藤光一郎/他 「ウガリット」Tr:柴山栄 「ヒッタイト」Tr:轟俊二郎/他 「アラム」Tr:杉勇 「ペルシア」Tr:佐藤進 「エジプト」Tr:尾形禎亮/杉勇 『筑摩世界文学大系2』 Pb:筑摩書房(Chikuma Shobo) Co:高津春繁 1971 「イーリアス」 ホメロス(Homerus)Tr:呉茂一 「オデュッセイア」 ホメロス(Homerus)Tr:高津春繁 「『イーリアス』のなかのヘクトールとアンドロマケーとの別れ」 エミール・ファゲTr:井上究一郎 「『オデュッセイア』の余白に」 ルメートルTr:井上究一郎 「トロイアとモスクワ」 ベスパロフTr:中川敏 『筑摩世界文学大系3』 Pb:筑摩書房(Chiku
前回は「ゲームは物語じゃない」という話だった。 今回は、その話は置いておく。 いきなりそんなことを言って申し訳ないのだが、そうはいっても書かれた物語の分析には参照したいところがたくさんある。そういったものを読み、ゲームについて言えることがないかを探した挙げ句にはじめて「ゲームは物語じゃない」と言えたんだし。 タイトルにもなってるけど、ゲームは物語に「なる」というのが大筋なんだから、書かれた物語と切り離しちゃいけない。けど、書かれた物語とゲームを同一のものとするのも、なんか違う。 ついでに言えば、物語に対しては、前回紹介した物語論の他にもアプローチのしようがある。人の人生や経験、世界のいろんなことを「語られた物語」としてとらえるやりかた。ナラティヴ・アプローチって呼ばれてて、そのうちここでも触れてみようと思ってる。物語論で整理された定義をベースにしてはいるけれど、こちらの研究対象は文学や
「ここは何処だ?」 「村だ。」 「何が欲しい?」 「情報だ。」 「どっちの味方だ?」 「いずれ判る。さぁ秘密を吐くんだ。情報だ、情報だ。」 「喋るものか!」 「どんな手段を講じてでも喋らせる。」 「名前を言え?」 「新しいNo.2だ。」 「No.1は誰だ?」 「お前はNo.6だ。」 「番号なんかで呼ぶな!私は自由な人間だ...」(ドラマ冒頭セリフより) イントロダクション. SF、サスペンス、アクションとあらゆる要素を持ちながら、時代を先取りした型破りなストーリー展開に、カルト的な人気を博したTVシリーズ。それが「プリズナー��.6」(原題「The Prisoner」)である。あっと驚く結末に視聴者は唖然とさせられたが、だからこそ四十年近い時を経てもぐっと我々を惹きつける魅力を有する。一体語られなかった真の結末とは?主演・企画のパトリック・マッグーハンが映画化を進
(1)無冠詞名詞は抽象 無冠詞のapple = = りんご(の概念) appleとは、いわば「りんごの世界」。 抽象的な「りんご」という概念。りんごなるもの。りんごという存在。 「りんごはおいしい」「このサラダにはりんごが入っている」といった場合の「りんご」。 抽象だから融通無碍。大量のりんご も、少量のりんご も、違う種類のりんごも、摩り下ろしたドロドロも、 も、 も、りんごなるものはすべてappleという概念conceptに含まれます。 世界で最初のりんご(the first apple)も、ニュートンが見た三百年前のりんごも、未来に生まれるであろうりんごも、appleに含まれます。 注 以上はappleという原形名詞の理論上、潜在的な意味を説明したものです。実際には無冠詞appleを使うと、多くの場合は不自然な英文になります。りんごについて抽象
アメリカの作家を中心に集めた、現代の幻想小説の短編集。9編収録。 収録作品… 「地下堂の査察」エリック・マコーマック、「“Do You Love Me?”」ピーター・ケアリー、 「どこへ行くの、どこ行ってたの?」ジョイス・キャロル・オーツ、「失われた物語たちの墓」ウィリエム・T・ヴォルマン 「見えないショッピング・モール」ケン・カルファス、 「魔法」レベッカ・ブラウン、「雪人間」スティーヴン・ミルハウザー 「下層土」ニコルソン・ベイカー、「ザ・ホルトラク」ケリー・リンク タイトルどおり、どこかにありそうでどこにもない、不思議な場所を描いた作品が多いですね。 現代の幻想小説…ここに収録されているような感じの作品のが好きかと問われると ちょい微妙なんですが、それなりに楽しめました。一番好きなのが唯一既読の 「雪人間」、それから「見えないショッピング・モール」、あとは「魔法」、 「ザ・
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