竹内洋先生が『諸君!』に連載している「革新幻想の戦後」(3月号)で、初めて、なぜ福田恒存があんなに清水幾太郎を罵倒したのか分かった。それはそうと、1960年代だろうが、竹内先生が「福田恒存もいいぞ」と言うと仲間たちから白眼視され、女子学生など「この人、右翼よ」と言ったという話が書いてある。そういう時代だったのだ、というのだが、私が学生の頃にもまだそういう感じは残っていて、カナダ留学前にアテネ・フランセの英会話に通っていたら、ふと早稲田の英文科の女子学生と話す機会があって、私が松原正を知っていると知った女子学生は「えっ、松原、知ってるんですか。あの人、右ですよ!」と勢いこんで言ったのである。 まだ私のことをよく知らないうちからそういうことを言うのはどういうものか、と私は思ったが、1989年頃だったろうか。あと、比較文学の大学院へ入った頃、英文科の研究室へ行くと、Mという同期生が「比較は右翼だ