安倍晋三元首相の国葬で、友人代表としての弔辞を読み上げた菅義偉前首相。その内容は、首相在任中に発信力不足が批判された菅氏にしては、話しぶりも含め、友人としての思いがこもって感動的だったと評価する声も多いが、果たして手放しで肯定してよいのか、気になる点がたくさんある。感動でごまかされないよう、もう一度じっくりと菅氏の弔辞を見直してみた。(特別報道部・木原育子、中山岳)
元プロレスラーで、参議院議員を2期務めたアントニオ猪木(アントニオいのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日、自宅で死去した。79歳だった。横浜市出身。難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中だった。 【写真】今年8月、24時間テレビに生出演したアントニオ猪木さん 2、3日前から低血糖で体調を崩し、自宅での療養生活が続いていた。前日持ち直したが、この日の朝、状態が悪化し自宅で息を引き取った。 1943年(昭和18年)生まれ。5歳で父親を亡くし、13歳で家族とともにブラジルへ渡り、コーヒー農場などで働く。現地の陸上競技大会の砲丸投げで優勝した際、ブラジル遠征中だった故力道山さんにスカウトされプロレスの道へ。日本プロレス入りし。60年9月30日、プロ野球からプロレスに転向した故ジャイアント馬場さんと同日デビューを果たし、62年からリングネーム「アントニオ猪木」を名乗る。 米国への武者修行
アントニオ猪木さんは横浜市出身で、中学生のときに家族とともにブラジルに移住しますが、現地を訪れていたプロレスラーの力道山にスカウトされて帰国し、17歳でプロレス界に入りました。 そのあと、同時に入門したジャイアント馬場さんとタッグを組み人気を集め、1972年には「新日本プロレス」を立ち上げて、プロレス界をけん引しました。 また、1976年には当時のボクシングの世界ヘビー級チャンピオンモハメド・アリさんと対戦し「世紀の一戦」と呼ばれて大きな注目を集めました。 また、1989年の参議院選挙に当時のスポーツ平和党の党首として立候補して初当選しました。 その後、2013年の参議院選挙では当時の日本維新の会から立候補して2回目の当選を果たしました。 参議院議員として北朝鮮を訪問するなど、独自の人脈を生かした活動を続けてきました。 一方、プロレスラーとしては1998年に現役を引退しましたがその後も格闘
2022年7月、Twitterに突如現れ、じわじわとファンを増やしている漫画『100話で心折れるスタートアップ』。大学の起業サークルに所属しているウサギが仲間とともに会社「ウサコア」をつくり、紆余曲折ありながらも会社を徐々に大きくしていく物語だ。 フォロワーには経営者や起業家も多く、この物語で起きるできごとのリアルさがうかがえる。現在(2022年9月30日時点)は100話まで残り数話となり、徐々にウサギの「心が折れていく」様子が見てとれる展開になっているが、この物語が伝えたいことは一体なんなのだろうか。そもそも、なぜこの物語を描こうと思ったのか? 作者に話を聞いた。 ―まずはじめに、この物語を描こうと思ったきっかけを教えてください。 『100話で〜』作者(以下、作者):もともと、以前から描こうとは思っていました。スタートアップ業界って、華々しい話や成功した話はメディアにたくさんあるし、企業
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