---ロサンゼルス・オリンピックのときに、テレビ朝日と組んで独占放映権を獲得しようとしたことが当時(84年)のスポーツ紙で報じられ騒がれましたが、そもそも康さんとテレ朝とのつながりは? 康 当時のテレ朝の専務・三浦甲子二だね。もう亡くなっちゃったけど。三浦って男はもともと朝日新聞の政治部にいたんだよ。朝日新聞社社長の村山(長挙)さんのお嬢さんが運転手と駆け落ちしたとき、それをサルベージ(連れ戻す)したり、そういう裏の仕事でのし上がって、ものすごい権力を持ってた。だから、俺と組んで、民放連合を出し抜き、五輪放映権を獲得しようなんてことも平気でやる男でね。ロス五輪のときは、僕の弁護士経由で、ロス五輪大会組織委員長のピーター・ユベロス(後に大リーグのコミッショナーとなる)と、放映権の交渉ができた。だけど、交渉って駆け引きだから、ピーター側が日本の民放連合に「こういう男(康氏)から、放映権の話がき