本日は横浜能楽堂の自主公演でした。能は「摂待」(せったい)シテは喜多流香川靖嗣さん。滅多に出ない曲ですが中々の名曲です。難曲であるが故に出ないといえます。良い役者が揃わないと能ならではの世界が生まれません。 現在能ですから芝居でも作れそうです。安宅から勧進帳が出来たように摂待から芝居が出来ないかと思えるのですが能役者の緊迫感、存在感は普通の役者には出来ないと思います。 「御為に命を捨てし郎党の一人は母、一人は子」と佐藤継信の母親と一人息子が山伏一行に姿を変えた義経以下の摂待をする能ですが、見る人に戦国の世の家、主従、そして家族の様々、命の有様が舞台の上で夢のように繰り広げられるのです。 語りの中で継信、菊王、忠信のことが語られるのが見てきた人の言葉として迫ります。 兎に角、能ならではの死者が蘇り、見たことを語る芸能の本領発揮の世界です。 最後の場面、子供が義経のお供に参ろうとする所を、山伏