タグ

2008年4月25日のブックマーク (4件)

  • [書評]それでもなお、人を愛しなさい 人生の意味を見つけるための逆説の10カ条(ケント・M・キース): 極東ブログ

    先日、ウエイン・W・ダイアーの「ダイアー博士のスピリチュアル・ライフ」(参照)をざっと読んだとき、そのなかに「逆説の十戒(The Paradoxical Commandments)」が出てきて、しばらく考えこんだ。 「逆説の十戒」は多少なりとも良心的な教養のある英米人ならそらんじているとまではいえなくても、たいていは知っているものだ。あるいはなんとなく壁に貼ってあったりする有名な教えだ。旧約聖書のモーセ十戒にちなんで十戒になっているが、逆説(パラドキシカル)とあるように合理的ではない不合理な教えだ。有名なので英語版のウィキペディアにも項目がある。日語の項目はないので試訳を添えておこう。 People are illogical, unreasonable, and self-centered. Love them anyway. (人は論理的でも合理的でもなく自己中心的なものだ。それはそ

    mixs
    mixs 2008/04/25
    The Paradoxical Commandments
  • 異論というほどでもないけど、ちょっとコメント - finalventの日記

    ⇒マフィアの論理とナショナリズムの原理(正義の実装) - 地を這う難破船 2点。あまり異論というか批判、非難にとらないでくださいね。 (1)「私にとって信頼の論理とは、マフィアの論理の別名でもある」について私がわからないだけかもしれないけど、私の理解では、マフィアは国家または国家間の寄生であって、国家的な義、つまり、市民を社会から守るという機能はできてない。つまり、マフィアは社会の延長であって、公の義が疎外されていない。 (2)アウシュビッツをジェノサイドと捉えるなら(どうもジェノサイドの基を理解されていない人は多そうだけど)、 国家においてコーサ・ノストラの範疇と民族の範疇を端的かつ徹底的に一致させたとき、「国民の国民としての正義」の国家を単位とする限界なき――すなわち「国民国家」としての憲法的規定なき――独裁国家において、マフィアの論理が発動したとき、アウシュヴィッツへの一里塚が見出

    異論というほどでもないけど、ちょっとコメント - finalventの日記
  • finalventの日記 近代思想/構造主義

    なんかポエムでも書きそうな気分を抑えて。 ぶくま界隈を見ていたら、こんなのが。 こんなの⇒うどんこ天気 - セックスしていても一つにはなれないけれど ええと、私はこーゆー話、好きですね。いい話じゃん、いいカップルじゃんとか、思いますね。この先、こーゆーと嫌われるけど、大衆ってそういうものだし。ただ、たぶん、セック○というのは、そううまくはいかんかもとも思うけど。 ほいで、そのぶくま⇒はてなブックマーク - うどんこ天気 - セックスしていても一つにはなれないけれど いや、なんつうか、はてならしいぶくまでいい味だしていて、もうもう。 なんでぶくまコメントが話題になるのか、少しわかったような感じがしたが。 次。 標題どおり⇒童貞の俺がお見合いパーティに行ってきた お兄さん、お歳はいくつくらいだろう。それによって、ちょいと思うことはあるけど。 で、ぶくま⇒はてなブックマーク - 童貞の俺がお見合

    finalventの日記 近代思想/構造主義
  • 日本人はマイノリティか? - finalventの日記

    微妙。 べたなものを見るとあたりまえなんだけど。 日人があまり意識してない問題かもだけど、一つのかなりレギュレートされた母国語を一億人がしゃべっているなんて民族は、他にありませんぜ。 しかもその一億人がべたべたにメディアにプラグされてる。 英語の人口は大きいというのはあるけど、あれは基的に言語の人口っていうならコミュニケーション手段であって実際の帰属意識は州のマイカントリーっていうのか、理念としてのフィデラルってやつなので、ちょっと日人と日語とちとずれている。 中国語の人口も大きいし、これから英語っぽくなるかもだけど、基的に普通語っていうのは中国人とって外国語。 インドに至っては言語がもうもう。 ドイツ語、フランス語はまどうでもいいでしょっていうくらい。 スペイン語、ポルトガル人口も多いけど、けどみたいな。 話戻すと、日語人口っていうのはどうみても、それだけでやめてくれっていく

    日本人はマイノリティか? - finalventの日記