ブックマーク / note.com/wakari_te (3)

  • 限界独身中年男性のための「ていねいな暮らし」マニュアル|小山(狂)

    アラサー、アラフォーの独身中年男性が、なぜかちょっと良い器や家具を揃え始めたり、自炊に凝り始めたりといった光景を目撃したことはないだろうか。 確かに少々の手間や贅沢は暮らしに彩りを与えてくれるものだ。独身中年男性の生活はどうしても殺伐としたものになりやすい。身の回りの物に手間とコストをかけ始める。それは一見すると大変ポジティブな行為に見える。 しかしみなさんはご存じだろうか。「ていねいな暮らし」を志す独身中年男性は、実のところ「素敵な暮らしがしたいな☆」的な明るくハッピーなマインドではなく、「この暮らしを変えなければ…」という切実かつ強迫的な心理の元おしゃれな家具や器を見繕っていることに。 稿は「ていねいな暮らし」を志す限界独身中年男性たちの知られざる哀しい心理とその方法について、その当事者である筆者が綴らせてもらう。 独身中年男性の限界な日々独身中年男性の生活は仕事を中心に回ってい

    限界独身中年男性のための「ていねいな暮らし」マニュアル|小山(狂)
  • 庵野秀明はもうエヴァンゲリオンを創れない|小山(狂)

    2016年、「シン・ゴジラ」を観たときにふと思ったことがあった。 庵野秀明は、もうエヴァンゲリオンを創れないんじゃないか、と。 「シン・ゴジラ」は絆の物語だった。震災(ゴジラ)という巨大な脅威に人々が立ち向かう物語。省庁の垣根を超え、官民の垣根を超え、現場と会議室との垣根を超え、国と国との垣根を超え、人々は連帯し、協力し、共闘する。 人と人との間にある見えない壁を、A.T.フィールドを超えて、人と人とが繋がり脅威に立ち向かう物語。それが「シン・ゴジラ」だった。 そしてそれは、素晴らしい物語だったとも思う。筆者も劇場で何回か観て、その後もBDディスクを購入し何十回と観ている。特に陳腐化しつつあったゴジラという怪獣を、震災という記憶に新しいイメージに乗せて蘇らせたところは鮮烈としか言いようがない。1954年の人々が初代「ゴジラ」に感じた衝撃と近いものを「シン・ゴジラ」を観た我々は感じることがで

    庵野秀明はもうエヴァンゲリオンを創れない|小山(狂)
  • 「鬼滅の刃」に女性が熱狂する理由|小山(狂)

    今さらながら、「鬼滅の刃」を最終話まで読みました。 あまりにも流行ってるのでなんか読まなきゃいけない気がしてしまって…。これが流行というものの魔力なんでしょうか。恐ろしい。 さて、全話読んだ上での感想なのですが、「あぁ、これは女オタクが熱狂するのがよくわかる」としみじみ思いました。自分なりに「鬼滅の刃」を一言で表すなら「守られたい女の子のための騎士道ファンタジー」といったところでしょうか。 しかし一方で 「鬼滅の刃は男のマッチョイムズを描いた作品だ」 という批評もそこそこあります。 鬼滅の刃は小中学生に男の責任たるものをインストールさせるマッチョ思想的漫画 確かに作中描写を読む限り、それは一見正しいんですよね。「男なら耐えろ」「男なら強くあれ」「男なら弱いものを守れ」「男なら責任を取れ」という価値観が繰り返し提示されていて、あたかも大正時代の価値観がそのまま蘇ったかのようです。 しかし「鬼

    「鬼滅の刃」に女性が熱狂する理由|小山(狂)
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