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研究と学問に関するmkawanoのブックマーク (5)

  • 人文系の文献の取り扱いとか業績についてちょっとだけ - dlitの殴り書き

    追記(2018/10/09 20:40ごろ) 記事の公開後だいぶ経ってから思い出したのですが,下記の記事で「まず査読付き論文誌を探す」ことを推奨していたり具体的な雑誌名を挙げていることに気付きました。これこそ良い具体例だったのに最初に示さなかったのはもったいなかったというか,早い段階で読んでいただいた方々には申し訳ないです。言語学・日語学の中でも「日語を対象にした文章研究」というやや狭いトピックですが,著書,論文集や紀要論文との付き合い方についても書いてあるので興味のある方はどうぞ。 dlit.hatenadiary.com はじめに 私の専門は言語学(日語)で研究・教育関係で他の人文社会系や理工系の研究・文化の一部に触れることがあるぐらいなのだけれど(あとアカデミックライティングに関わっている関係で他分野について調べることもある),その狭い範囲ですらいろいろな違いがあってとても「人

    人文系の文献の取り扱いとか業績についてちょっとだけ - dlitの殴り書き
  • 取り方を知っても取れない博士号 - 武蔵野日記

    朝には歩けるくらいに回復したのだが、しばらく身体を起こしていると頭痛がする程度には病み上がりなので、職場に電話して有給休暇を使う。在宅で仕事をしようかと思ったのだが、仕事ができるような体調でもなかった……。 娘も今日から保育園に行ってよいと言われていたのだが、まだ動作が緩慢だし、下痢も治っていないので、家で過ごすことになる。親子仲良く家でまったりと過ごす。 そういえば先日「博士号の取り方」を読んだ。[twitter:@ceekz] さんが何回か取り上げていたので興味を持ったのである。 博士号のとり方 学生と指導教官のための実践ハンドブック 作者: エステール M フィリップス,デレック S ピュー,角谷快彦出版社/メーカー: 出版サポート大樹舎発売日: 2010/01/25メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 7人 クリック: 42回この商品を含むブログ (9件) を見るタイトルからは

    取り方を知っても取れない博士号 - 武蔵野日記
  • バナナの皮の滑りやすさ研究 物理学賞 NHKニュース

    ノーベル賞のパロディーとしてユニークな研究に贈られる「イグ・ノーベル賞」の授賞式がアメリカのハーバード大学で行われ、バナナの皮の滑りやすさを調べた北里大学の研究グループが「物理学賞」に選ばれました。 「イグ・ノーベル賞」は、1991年にノーベル賞のパロディーとしてアメリカの科学雑誌が始めたもので、「人を笑わせ、そして考えさせる」独創的でユニークな研究に贈られます。 18日、アメリカのハーバード大学で、ことしの授賞式が行われ、10の部門の受賞者が発表されました。 このうち、「物理学賞」には、バナナの皮の滑りやすさを調べた北里大学の研究グループが選ばれました。 研究グループは、滑りやすいものの代表例であるバナナの皮が、実際どれくらい滑りやすいのか、実験装置を使って具体的な数値を計測しました。 その結果、雪の上をスキーの板が滑るときほどの滑りやすさではないものの、床に置いたバナナの皮をで踏むと

    バナナの皮の滑りやすさ研究 物理学賞 NHKニュース
  • 専門的な文章を読むには訓練が必要という当たり前だがあまり知られていないこと|Colorless Green Ideas

    専門家はお互いにとって理解しやすくするために、専門用語を使って文章を書く。こうした専門的な文章を理解するにはしっかりとした訓練が必要である。 はじめに 西日新聞のウェブサイトに掲載されたコラムに次のような文章があった。 ネット上に公開された大学などの論文にある「解釈的文脈」「モダリティ辞」「ディアスポラ」「語用論」って何? 高度な論文でなければ注目されず、不勉強と冷笑されもするだろうが、難解な言葉で自己陶酔する世界観が学術界に広がっていないだろうか。 来、研究は人、社会に役立つべきものと思うが、ネット上の論文には個人的な知的遊戯に浸っている物が少なからず散見される。 田端良成 (2014年3月23日)「STAP細胞をめぐる一連の大騒動」『西日新聞』 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/desk/article/77391 この指摘は妥当なものでない。研究

  • 火曜日 - 日々の研究[STAP細胞]

    研究を進めるとき、自分の喜ぶ結果がでたら、ほとんど確実にミスがある。これは、研究者にとって普遍的な現象だと思う。また、間違ってない発見をしても、冷静になるとつまらないことも多い。新しくて意味のあることを見つけるのは想像以上に困難であり、精神がすり減るようなことを繰り返し経験する。しかし、そういうことは気で研究をしないと分からない。研究者になる前の僕が一人で研究を始めたとして、それを意識できたかどうかは分からない。真剣に科学にとりくむ環境があってこそ、そういう経験が「普通に」できたのだと思う。 某細胞の件。日曜日には、意図的な捏造の可能性が高くなって呆然とした。しかし、そうする理由が全く理解できなかった。今日の学位論文のイントロには驚いたが、落ち着いてくると何となく分かってきた。要するに、O氏の周りには研究環境がなかったのだ。結果を出さないといけないプレッシャー云々とか、そういうのに駆動さ

    火曜日 - 日々の研究[STAP細胞]
    mkawano
    mkawano 2014/03/14
    “おそらく、そうでなくて、O氏にとっての「研究」とは、最初の最初から、切り貼りするようなものだったと想像する。夢の世界の住人のような感じだろうか。悲しくなるようなことだ。”
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