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2021年10月8日のブックマーク (3件)

  • 我が家が「ミニレトロゲーム機」の墓場になっている。 - いつか電池がきれるまで

    topics.nintendo.co.jp おお、ニンテンドー64にメガドライブか……懐かしいなあ。 『メガドライブミニ』は持っているけれど、これは追加料金払ってでも加入しなきゃな…… と思ったあと、僕は家にあるさまざまなレトロゲーム機の状況を思い浮かべていたのです。 『ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ』を皮切りに、昔の名作ゲームをたくさん収録して、コンパクトサイズで安く発売されたレトロゲーム機って、たくさん出ていますよね。 ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ 任天堂Amazonニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン+USB ACアダプター 任天堂Amazonニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ 週刊少年ジャンプ創刊50周年記念バージョン 任天堂AmazonPCエンジン mini コナミデジタルエンタテインメントAmazonプレイステ

    我が家が「ミニレトロゲーム機」の墓場になっている。 - いつか電池がきれるまで
  • 小山田圭吾さんとすぎやまこういち先生の「違い」を考える - いつか電池がきれるまで

    jisin.jp すぎやまこういち先生、もう90歳になられたのか……まあ、問題はそこじゃないって話なんでしょうけど。 東京オリンピックにたくさんのゲーム音楽が使われたことに関しては、僕自身も感慨深いものがありました。 テレビゲームというものが、まだ「日陰」の存在だった頃から大好きだったので、オリンピックという「権威」に認められた、ということは「何をいまさら」という気持ちがありつつも、やっぱり、嬉しく、誇らしくもあったんですよね。 小山田圭吾さんが学生時代の障害者へのイジメを以前雑誌のインタビューで語っていたこと、小林賢太郎さんは、ナチスのユダヤ人虐殺をネタにしていたことでオリンピック関係の仕事から降板していたのに続いて、『ドラゴンクエスト』などの作曲者である、すぎやま先生のこれまでの言動が発掘され、「なぜ、すぎやまこういちはOKなんだ?」「結局は、『何を差別したか』によって、責められる程度

    小山田圭吾さんとすぎやまこういち先生の「違い」を考える - いつか電池がきれるまで
  • 吉本隆明と小山田圭吾に見る時代性への私見 - メロンダウト

    隆明『貧困と思想』を読んでいてこんな一節を見つけた (戦中の心理を振り返る段にて) 国家のために死ねるかという問いにたいして、国家のためというのは僕には軽すぎて、命と取り換えるところまではいかないのですよ。それなら国家のためというのを自分の家族の安全を守るためと言い換えても、それで命と取り換えられるかというと、どうにも軽い。そこは考え詰めたのです。というのもどうせ死ぬと思っていましたからね。徴兵検査が済んだら兵隊へ行って死ぬのは決まっているのだと。先輩達がそうでしたからね。だからそこのところを解いていないと、どうにも自分が定まらないのですよ。自分は徴兵検査して、兵隊に入ったら死ぬのだ、ということ以上の命を考えることは無駄だと思っていましたから、考え詰める。しかしどうしても国家のためとか、家族のため、同胞のためというのは軽すぎるので、どんどんと突き詰めていくと、宗教としての天皇、現人神と

    吉本隆明と小山田圭吾に見る時代性への私見 - メロンダウト