報道の考え方として古臭いと思うのは、この世の中に報道を行なう者とそうでない者の境界線を明瞭に引けるとしている点です。これは考え方としてカビが生えるほど古いと思っています。 かつてはそういう時代もありました。それは報道を行なうには巨大なツールを必要としたからです。新聞と言う報道では、新聞を印刷する輪転機やこれを配送するシステムが必要であり、これを個人の趣味で整えるのは事実上不可能です。またテレビも収録放映のための設備が必要であり、さらに電波を発信するにも国家の難しい許可を必要とします。ラジオや雑誌もまた似たようなものです。 不特定多数に情報を発信するには個人では手軽に準備できない巨大なツールが必要であり、その結果としてそういうツールを所有ないし利用できる組織に属するものが報道に携わる者とされ、それ以外の人間と境界線を引く事は概念上可能だったと思います。個人の能力の部分もありますが、実質のとこ