ブックマーク / www.keystoneforest.net (4)

  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***18日目(2月3日)*** - 森の奥へ

    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から18日目です。解体撤去申請の受付業務を担当する。 2月3日(金) 6時半起床。7時50分区役所到着。8時45分より区役所4階で、倒壊家屋の解体撤去申請の受付業務。申請者の数は前より少しずつ減ってきた様子。 定時に昼をとり、午後の一人目の応対が済んで次を待っていると、別の作業を頼まれた。申請書のコピーをとれとのこと。それから午後の時間帯はその作業で埋まる。これまでに受け付けた約1500人分の申請書のコピーをとった。その間、Y根氏(※庁からの応援職員)は、解体の順番を早めて欲しいと言ってきた人と口論になる。 午後5時頃、受け付けは終了するが、その後もコピーと仕分け作業が続く。6時45分、ようやくすべてが終わり、公会堂(※兵庫区役所地階)に降りて夕をとる。 今日は泊

    震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***18日目(2月3日)*** - 森の奥へ
    mmayuminn
    mmayuminn 2021/02/03
    26年が経つのですね。当時私は高校の推薦入試当日の朝でした。ニュースで見た信じられない映像が今も鮮明に思い出されます。
  • しあわせ王国とふしあわせ王国 (創作小説)       幸せの定員 ***0***  - 森の奥へ

    しあわせ王国とふしあわせ王国 遠いむかし、ある星にしあわせ王国がありました。 しあわせ王国はしあわせ王がおさめる国でした。王国が生まれてから数千年、その国の人たちはみんなしあわせでした。王様はもちろん、王様につかえるだいじんも、だいじんの家族たちも、町の人も村の人も、人々がかっているイヌやネコやフーゴたちも、みんなしあわせでした。その国にはしあわせしかありませんでした。 しあわせ王国の北に、ふしあわせ王国がありました。 ふしあわせ王国はふしあわせ王がおさめる国でした。王国が生まれてから数千年、その国の人たちはみんなふしあわせでした。王様はもちろん、王様につかえるだいじんも、だいじんの家族たちも、町の人も村の人も、人々がかっているタヌキやキツネやシイヴたちも、みんなふしあわせでした。その国にはふしあわせしかありませんでした。 ラテテウという少年がいました。ラテテウのお父さんはしあわせ王につか

    しあわせ王国とふしあわせ王国 (創作小説)       幸せの定員 ***0***  - 森の奥へ
    mmayuminn
    mmayuminn 2021/01/10
  • コロナ禍の最中で誠実であり続けるということ **ブックマーク・ツイートから** 山猫ノート28 - 森の奥へ

    6月1日から神戸では学校が再開します。 しばらくは分散登校ということで、週に何日かだけの登校になります。 と、5月のうちに書き始めましたが、いつものように書いてはやめ、読み返して書き直し、また少し書いてやめ、また読み返して書き直し、、、を繰り返すうちに、とうに6月を迎えてしまっています。 以下、自分の区切り・備忘録として、コロナ禍の最中にあって思ったこと、思っていることを書きます。 4月7日夜 政府は7都府県に緊急事態宣言を出しました。 新型コロナウィルス感染症拡大防止のための措置でした。 翌8日は、多くの学校にとって新しい学年がスタートする始業式が行われる日でしたが、わたしが暮らす神戸市でも、この宣言を受けて、新年度初日から学校を休校することになりました。 あまりに真際での決定でしたので、近隣の都市では休校の連絡が間に合わなくて子供たちが登校してきたため対応に苦慮した、という学校もあった

    コロナ禍の最中で誠実であり続けるということ **ブックマーク・ツイートから** 山猫ノート28 - 森の奥へ
    mmayuminn
    mmayuminn 2020/06/14
    3か月で色々なことを考えました。人生でこのような時間を持つことは初めてでした。とても良かった自粛生活でした。
  • 正論を口にするのが怖い - 森の奥へ

    前回の記事「雰囲気と言うものの怖ろしさ」で神戸の小学校で起きた事件について書きました。 たくさんのコメントをいただき、この事件への関心の高さを思いました。 コメントを寄せてくださったみなさま、ありがとうございました。 今回は「雰囲気」を変えるにはどうしたらいいんだろう、とあれこれ考えたことを書いてみようと思います。 www.keystoneforest.net 集団の中で、一つの発言が肯定され賛同を得るか否か、それはその集団の雰囲気によって違ってきます。 極端な例になりますが、 「戦争反対」と駅前の広場で唱えたとします。 それが今朝の通勤の駅前で見られた光景であれば、それに異を唱える人はおそらくいないでしょう。 けれど、戦時中の日でそれをやったとしたら、その演説者はたちまち引き倒され、どこかに連れて行かれてしまったことでしょう。 戦争はいけない行為だと言う紛れもない正論も場合によっては通

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    mmayuminn
    mmayuminn 2019/11/04
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