奈良時代、聖武天皇が創建して以来、幾多の災難に遭いながら修復されてきた奈良の大仏。戦国時代には、兵火により大仏殿が炎上し、大仏は上半身が溶け崩れてしまう。その後、修理されるが資金が不足し頭は木造に銅版を貼る応急処置しか出来なかった。 炎上から100年たった江戸時代初期、朽ち果てて痛ましい姿に変わっていた大仏の姿を見て涙を流し、再建を決意したのが東大寺の13歳の少年僧・公慶だった。 公慶は37歳の時、再建資金を人々から寄付してもらうため全国行脚を始めた。そして、大仏など見たこともない人々の心をつかむために様々な工夫を凝らす。例えば、その一つが、「らほつ(大仏の髪の毛)」の実物大の見本(直径約20cm)を見せて回ること。大仏の偉大さを伝えるためだ。一方、人々も現世や来世の幸せを約束してもらおうと喜んで寄付をする。7年かけて公慶が集めた金額は何と1万両(現在の価値で10億円)にのぼった。