熱心な映画ファンを公言する日本人であれば、せめて溝口健二の『山椒太夫』は観て欲しいものだ。黒澤明を「世界の巨匠」として崇めている人ならば尚更だ。 '54年のヴェネツィアで『七人の侍』と金獅子賞を分け合った、この『山椒太夫』を観たのは20歳頃だった。『雨月物語』で受けたショックのあまりの大きさに、”ミゾグチ”の名を求めて行き着いた。 『山椒太夫』での映像体験は凄まじかった。『雨月物語』と同じ高み、いやそれ以上の圧倒的な迫力に満ちていた。改めて、映画とはフィルムとスクリーンによる幸福でリアルな幻影に触れる体験なのだと思い知らされた。 当時までは、僕も黒澤明が日本の映画史で最大の作家であると信じていた。 『七人の侍』は黒澤明の重要な傑作には違いないが、『山椒大夫』の黒白の崇高さ、映画芸術としての厳しさ、フィルムとしての艶かしさの前には、どうしても作品の粗さと作家としての才能の格の違いを痛感せざる
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