人が留められないものはなんだろうか. 共有できないものはなんだろうか. 時間,空間,瞬間,すべては失われていく, ありありとした解像度を体験し続けることは生きることだ. 生きることはそれらを忘却し失い続けていくことかもしれない. 過去にしてしまう価値を閉じ込めたいと思ったときに人は 芸術作品やメディア装置を手に取る. 物質になることを嫌がる情報を僕らは社会彫刻に作り変えることもある. 人が金,法人,宗教,法律, 共同体を作る動機は留めたいこころにあるのかもしれない. メディアアートに惹かれた二つの気持ちは分解できる. だれも見たことがないものを見たいこと,刹那で失われる なにかを留めておきたい体験の物象化だ. 煙,泡,波面,プラズマ,生体,一瞬の運動や宙に存在するその刹那性 のようなものだ.瞬間の美しさを失えば, それは誰も見れないものになってしまう.その上に沢山のコンテクスト を載せよう
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