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読み物と言葉に関するmmsuzukiのブックマーク (5)

  • トーチweb 老後を考える 【国境線上の蟹 31】

    国境線上の蟹 31 安東嵩史 25 「みんなが恐ろしい」 今日も、アメリカを走る。 ロス・アンジェルス、虚飾と刹那にあふれたハリウッドやビバリーヒルズに背を向けて南へ1時間も行けば見えてくる黒々と青い空の下を。カンザス、冬の陰な曇り空のもと永遠に続くような灰色の大平原の中を。ミシガン、フリーウェイの路傍に一瞬現れてはそのまますっ飛んで行く十字架と廃屋の群れを見やりながら。ニューメキシコ、「この世」という概念が発生するはるか以前から変わらずに存在する赤土の大地を。 「アメリカを知る」とは、いったいどういうことなのだろうか。この国を、いや、この「概念の帝国」がかろうじてへばりついているこの広大な大陸を走り、そして歩くほど、それはわからなくなってくる。 ニューヨーク・シティ、早口で話す人たちと飛び交う黄色いタクシー。エル・パソ、カラフルな喧騒にあふれた国境地帯バリオ・セグンドで縦横無尽に耳をか

    トーチweb 老後を考える 【国境線上の蟹 31】
    mmsuzuki
    mmsuzuki 2019/07/06
    “多くの人々が安易に暴力や怒りを表出するようになった背景について〈蓄積された怒りを解き放つことは、自己目的的なものであって、それ自体の動機や目的とは関連がない〉”
  • サハリン体験記 (1) - 東京永久観光

    インターネットを数日も続けてできないとは、いかなる事態なのか。なぜこれほど頭がインターネットを渇望するのか。 私たちは体験を記憶しそれが集積していくことで、世界の感触(世界観と世界像)=つまりこの世が一体どんなふうになっているのか=を作り出していき、そして作り変えていく。 それは身体を通した体験であり、かつ言語を通した体験だ。 たとえば、東京に住んでいる私が初めてサハリンにやって来る。そのとき身体はいろいろ刺激を受けいろいろ反応する。その刺激と反応のまとまりとして身体はサハリンを把握する。サハリンはどれくらい遠いのか。どれくらい暑いのか。どれくらい広いのか。などなど。しかし体験はそれだけではない。 もともと私はサハリンを少しは知っている。旅行前にはガイドブックでサハリンについて調べた。北海道の近くにあること。夏もけっこう涼しいこと。列車に乗って北の方まで移動できること。などなど。要するに知

    サハリン体験記 (1) - 東京永久観光
  • 文化の役目について:震災と福島の人災を受けて(大友良英)

    Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese 大友良英 2011年4月28日 東京芸術大学での特別講演から 大友です。よろしくお願いします。日の講義のタイトルは、「文化の役目について:震災と福島の人災を受けて」です。僕はこの10年ぐらい、芸大で年1回くらい講義をやっていて、音とか、ノイズとか、アンサンブルってなんだろうとか、そういう話をしてきたんです。なので、最初にこのオファーをもらった段階では、今日のようなことは想定外だったんですけれども、3月11日の震災があり、僕は福島で育ったこともあって、今、福島と東京を行き来して、福島に関する新しいプロジェクトを立ち上げようとしていて、今日は、その話をしようと思っています。といっても、政治の話でもなく、原発をどうやれば収束させられるかという科学の話で

  • 1995年1月17日の日記 その街のひとりだった自分 - うろおぼえ日常

    何事か、とりわけ劇的な出来事に直面し、その体験を通過すると、自分のなかで系統立てて整理する。人に話しをするならなおさらのこと、“物語化”される。そうやって実体験の核となる“なにか”から段々と離れていくことはやむをえない。それは人が言葉や文字を見つけた瞬間からはじまった作用なのだから。物語として自分のなかで再構築し、人に語れば語るほど、フィクションや虚飾や「こうであってほしい」といった思いが付加される。これから書くのは、16年前の今日の日記だけど、きっと、もう大分ぼんやりしていて、虚飾が混ざっているかもしれいない。でも、できるだけ率直に、覚えていること≒覚えていたかったことを書いてみます。 16年前の真っ暗な朝になにかに強烈に揺すられている感覚で目が覚めました。なにかはわからないけど、とても普通ではないことが起こったことだけが直感のようにわかって、その瞬間に人生で初めて「あぁ、死ぬかもしれな

    1995年1月17日の日記 その街のひとりだった自分 - うろおぼえ日常
    mmsuzuki
    mmsuzuki 2011/01/22
    その街のこども
  • 直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。

    ここ一週間、たくさんの日の若い人たちと話した。JTPAツアー、九州大学ツアー、そして昨日のLingrイベント。それでつくづく思ったこと。もう前にも一度言ったことだし、当たり前のことだし、言わなくても伝わっているだろうとふと思っても、しつこく言おうと。なぜなら、僕が考えていることと正反対の言葉を、日の大人たちから皆はシャワーのように浴び続けているし、僕がこうあるべきと思うことと正反対の経験を日々せざるを得ない状況にある、ということがよくわかったから。 二十歳にもなれば、その人のすべてはもう顕れている。その自分の良いところを見つけるには、自分の直感を信じ(つまり自分を信じるということ)、自分が好きだと思える「正のエネルギー」が出る対象を大切にし、その対象を少しずつでも押し広げていく努力を徹底的にするべきだ。そういう行動の中から生まれる他者との出会いから、新しい経験を積んでいけば、自然に社会

    直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。
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