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ブックマーク / genron-alpha.com (2)

  • 当事者から共事者へ(5)「真実」が開く共事の回路|小松理虔 | 2ページ目 (2ページ中) | ゲンロンα

    しかしその胸の苦しさは、今から振り返れば、演劇とを通じて、悲しみと「共事」した証でもあったのだと思う。誰かの深い悲しみに触れた時、ぼくたちはどうすることもできない。ぼくはその体験を共にしたわけではないし、その人とまったく同じ心を持っているわけでもない。ましてや劇中で語られたことは過去の出来事である。だから、悲しみの記憶には当事することができないのだ。ただそこに一緒にいるくらいしかできることはない。 震災報道などで、劇と同じように被災者人が当時を振り返る場面に遭遇する。多くの人は、被災者の言葉に共感することもできず、「大変だったんだなあ」「さぞかし悲しかったろうなあ」と一瞬は思うけれど、後を引くこともなく忘れ去ってしまうことが多いのではないだろうか。ぼくだって似たようなものだ。 同じ「被災者が悲しみの記憶を語る」内容なのに、なぜ柳さんの作品には「悲しみと共事できた」と感じられたのだろう。

    当事者から共事者へ(5)「真実」が開く共事の回路|小松理虔 | 2ページ目 (2ページ中) | ゲンロンα
    mmsuzuki
    mmsuzuki 2020/05/24
    “悲しみは、事実ではなく真実として語られた時、当事ではなく共事の回路を開く。「アーティストは事実を伝えるのではなく真実を翻訳するのだ」”
  • 観光客の哲学の余白に(20) コロナ・イデオロギーのなかのゲンロン|東浩紀 | ゲンロンα

    初出:2020年4月17日刊行『ゲンロンβ48』 ゲンロンはこの四月で創業から一〇年を迎えた。今号はその記念号にあたる。だからなにか書いてくれと頼まれた。 けれど、いま明るいお祝いの言葉を書く気にはどうしてもなれない。理由はいうまでもなく、現在進行中のコロナ禍にある。ゲンロンカフェはもうひと月以上観客を入れることができていない。 それは経営的に打撃というだけではない。ゲンロンは――というよりぼくは、この一〇年、ずっと、情報の交換だけでは人間はダメになる、哲学や芸術を理解するためには情報の「外」との触れ合いが必要だと主張し続けてきた。 それを現実との触れ合いが大事だと要約すると、そこらへんのオヤジでもいいそうな素朴な話になる。じっさいぼくはそこらへんのオヤジでもあるが、ただぼくとしては、その主張を「誤配」とか「観光」とかいう言葉で武装し、AIとかビッグデータとかスマートシティとかばかりいって

    mmsuzuki
    mmsuzuki 2020/04/24
    “いまはみなが「社会の多くはオンラインで代替できる」という幻想にしがみついている。その幻想だけが、感染症への恐怖と社会維持の必要性を両立させてくれるからだ。”
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