スポーツ取材の醍醐味(だいごみ)は、時にとてつもない才能に出合えることにある。 1995年、Jリーグ。横浜マリノスに高校から入団したばかりのルーキーDFが定位置を奪い、当時のヴェルディ川崎と対戦した。対面には、イタリア帰りのカズこと三浦知良。90分間、ルーキーは、日本のエースに仕事らしい仕事をさせなかった。 強く速く賢いディフェンダー。こんな天才がいるのだな、と思わせた。松田直樹だった。 19歳で参加した96年アトランタ五輪ではブラジルの怪物ロナウドを押さえ込み、「マイアミの奇跡」の立役者となった。 ベスト8に進んだシドニー五輪にも連続出場し、米国にPK戦で敗れた。五輪やW杯になると、自社や通信社の写真が、それこそ山のように送られてくる。当時、ゲーム写真の分厚い束を時系列に並べてみたことがある。そこには、テレビでは見られない、さまざまな選手の表情があった。 PKを外してとぼとぼと戻る中田英