こころ失踪したい衝動と、失踪したくない気持ちがだいたい等しい強さで存在している。実際に行動には移していないので、若干「失踪したくない」寄りなのだと思う。僕はその狭間で、これらを「自分のもの」ではなく「外部環境の干渉の結果」であると捉えているフシがある。もし僕の認識通り、それらが外部環境の干渉の結果であっても、行為を選択し、実行する主体が僕である以上、「失踪したくない」「存在していたい」「消滅したくない」が僕の心の奥底からの願いなのだと思う。主体性の行使の主体が誰であるかと考えると、「主体性」の意味*1からいって自分なのだろう。しかしその主体性が、本当に自分自身のものであると、胸を張って言えるか?という問題が、時々頭をよぎったりよぎらなかったりする。考えてもどうしようもないようなことを(どうしようもないというのはつまり実利が全くないということだ)考えるのは、今の僕の精神状態があまりよろしくな