親鸞を知る人は親鸞を落ちこぼれだという。私も落ちこぼれ親鸞に近親感を抱き、悩める高校生の頃から『歎異抄』を座右の銘のように再読してきた。浄土真宗開祖親鸞の生涯は落ちこぼれの生涯だった。ここでは簡単に親鸞の落ちこぼれ振りを記載してみたい。私自身、親鸞を認識することによって今日まで生かされたという面がある。 一言断っておくと親鸞は自ら浄土真宗を興したのではないということ。親鸞は浄土宗開祖法然に帰依、法然の教えを全うしようと勤めただけで、浄土宗と独立した形での教団は興さなかった。法然の教えの真意を浄土真宗として表現した。自らも浄土宗の一員であり法然の弟子であるという思いに変わりはなかった。 この辺のことについては私は詳細でないが、親鸞の死後、おそらく浄土真宗中興の祖と称えられた蓮如あたりで浄土真宗という強力教団の姿を成していったのではないか。 親鸞は、平安末期の承安三年(1173)に、京都は宇治