どうやったら部下が育つか、というテーマは永遠の議題だが何となく結論めいたものはある。指導、という言葉は捨てたほうがいいんじゃないか、ということ。 部下がなぜできなかったのかということについて、関与しない。できなかったことだけ上司は記憶する。その反省は本人にしてもらう。できるようになるかどうかは本人が決める。 上司は、いたってシンプルである。部下が今できないと考えていることを、上司が行い部下に見させ、共有する。共有すること、これが全てじゃないかと思い始めた。 部下が吸収したという根拠を感じるまでは、何度も何度も共有する。そこで部下によって反応の差が出てくる。やってみせようとすると、これは私は知ってます、できますという反応が返ってきたら、良い反応だ。では、やってみなさい、と。難度が高い場合は、どういうふうにやろうとしているか事前に口頭で確認する。もし危険な作業の場合は後ろで見る。 根拠がない間
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