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blogとlanguageに関するmogumalのブックマーク (3)

  • Google翻訳が面白すぎる件 - Cozy Ozy

    Google翻訳が面白すぎる件 市販ソフトである「コリャ英和!…」を中心に翻訳性能を分析しようと思ってたのですが、Google翻訳が面白すぎるので少し脱線です。前のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/Ozy/20080915#p2)をご覧頂いただけでると思いますが、進めていけばいくほどかわいそうになってきたので、もうちょっと文章が複雑になったところで評価対象から外そうと思います(;´д`) Mary has a guitar. コリャ英和 2009 メアリーはギターを持っています。 Google メアリーには、ギターです。 Yahoo メアリーは、ギターを持っています。 Excite メアリはギターを持っています。 ですよねー。 We played baseball. コリャ英和 2009 我々は野球をしました。 Google 私たちの野球です。 Yahoo 我々は、野球

    Google翻訳が面白すぎる件 - Cozy Ozy
  • さびしさの運用について - Mellow My Mind

    「このさびしさをどしたらいいの」ということを延々考えて、人生単位で見てもそれはそれは長い時間を浪費しました。その中でまず気付いたことは「人はさびしいとおかしくなる」ということでした。ひっくり返すと、人がおかしなことやってるときは、だいたいさびしいんだよな。さびしさを動機にして人や自分を裁いても、よけいさびしくなるばかり。なにかを裁くということはなにかを切り捨てることだ。一度切り捨てられたものは時間が止まってしまう。もうそこからは何もうまれないのでした。さびしいのに、いろんなものをどんどん切り捨てて、自分さえも許せなくなって、狭く、小さく、よけいさびしさを募らせるばかり。おかしなことだ。さびしさとは無縁に見える、幸福そうなあの人と、わたしは何が違うんだろう。考えればなにもかも違うように見えたし、でも当のところはどこがどう違うのかよくわからない。ただ、自分がさびしさにふりまわされていることだ

  • 「正しい」って何だろう

    人と議論をしているとよく「何が正しいのか」という事が問題になります。「その意見は正しいね」とか「君の言っていることは間違っている」みたいな話です。 議論というのは基的に最も「正しいらしい」と思われる結論を導き、それに全員が同意することを目的にするものだと思っているのですが、議論をしているとたまにこの「正しさ」についての認識が違うな、と感じることがあります。 基的に僕は、「正しさ」には個人的なレベルと全体的なレベルの2種類があって、個人レベルでは「人々の意見は全て正しい」のだと思っています。 例えば僕が「この部屋が暑い」と言えば、例え気温が5度しかなくてもそれは「正しい」わけです。「5度の部屋が暑いなんて間違っている」と言われても、暑いと感じた人にとっては「暑い」事は事実でしょう。 もし僕が「この部屋の温度は10度を超えている」と言えば、それは正しくはありませんが、こうやって科学的に証拠

    「正しい」って何だろう
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