とある六畳間で印刷物を作ったりWEB的な何かをしていたり、物思いをしてみたり、嫁様の目を盗んでtwitterとかしてたりします。
田舎だと広くて都会や森の中だと狭い空。快晴だとただひたすらに青く、でも、季節によって深い青だったり浅い青だったり、湿度が高いと薄い青になる。そこに雲が現れるとまた面白い。秋の空は高いところに雲があるし、夏は低い雲と高い雲がまじって豊かな表情を見せてくれる。風が強いとぼーっと見てるだけで空の表情が変わっていく。 雲の表情はその厚さや光の当たり方で違ってくる。夕焼けの美しさは雲次第だ。 ときどき空を見上げると、その一瞬の空を撮ってみたくなるもの。 そんな空を撮る話。 青空のある風景 雲一つない真っ青で快晴な空にカメラを向けると、たいていカメラが困る。ピントが合わないからである。ピントを合わせるべき対象がないのだ。空を撮るときのポイントはそこ。ちょっとした雲だとカメラによってはうまくピントが合わない。これは困る。 そういうときは、遠くにあるなにかにピントを合わせる。超望遠レンズを使わない限り、数
写真を撮り、歩き続けるための80の言葉 2010年8月23日 ITカルチャーデザイン コメント: トラックバック (0) フィードITカルチャーデザイン (これまでの竹田茂の「構成的アプローチ」はこちら) 写真を始めて間もない頃は、ボディの選択から始まって、レンズ交換の楽しさや、フィルム特性による描写の変化、フィルター効果、ストロボの使い方等々、ハードウエアそのものの面白さにどうしても目が向きます。私自身もそういうマニアの1人でした。 しかし撮り始めてまもなくすると、写真というのは、そういう機材の出来不出来が主役になり得ないことがわかってきます。写真は「足」で撮るものだ、ということに気がつくのです。「あそこにあの時間に行けば、こういう写真が撮れるのではないか」ということが想像できるようになってくると、それを実現するためのフットワークにちょっとした情熱を持参して、現場へ馳せ参じる、ということ
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