もう2月も中旬なのに、これが2018年最初の記事となる。 去年の夏ごろから持病が再発したため、1月は気力がなくて、物忘れ進行中の母の相手と仕事以外はずっと寝ていた。 本は読めるので、寝ながらkindleで電子書籍をひたすら読んでいた。 そこで、今までぼんやり考えていたことを代弁してくれるような文章に出合った。 お寺が「人生の受け皿」として機能していた時代があった (お釈迦様が説いた仏教が、集団という形態をとったことの意義の一つとして) それは、苦しんでいる人の人生を丸ごと受け入れる「人生の受け皿」としての機能です。サンガというのは、単に修行の志を持った出家者の集まりであっただけでなく、人生に絶望した人や心を病んだ人、社会生活に耐えられない人たちの受け入れ先としての機能も持っていたのです。大乗仏教一辺倒の日本でも、その機能だけはあるときまできちんと存在していました。ところが、いまのお寺はほと
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