題名は相当気合をいれてみたが、別に全然難しい話ではない。 私は繰り返し、教育基本法の根本理念は「人格の完成」であり、それが看過または軽視されている状況のほうが「愛国心問題」よりずっと問題であると書いてきた。愛国心というのは激語だからもうそれだけで私は拒否したいが、「人格」があれば、自分で判断ができる。教師が押し付けても、国が押し付けても「いやです」と言えるし、反対に「はい、そう思います」とも言える。責任をもって自分の倫理観に照らして判断すればいいのだ。教師への押し付けを問題にする人もいるが、大人なんだから適当(適度ね。中庸の徳をもってということ)、に従ったふりして、あとは自分の考えで行動すればいいのだ。もっとも現実には先生の方が逆にが「人格」を持っていない場合が大いに想定されるので、その場合は大変危険で、それこそ「子供が危ない」ということになる。 たとえば、もし僕が高校生の時、愛国心をもて