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ブックマーク / nuff-kie.hatenadiary.org (4)

  • 西島大介 / 夏の彗星 - デイジーチェイン・アラウンド・ザ・ワールド

    西島大介 島島 『夏の彗星』 まずはリンク先にある1点のイラストを見てきて欲しい。『夏の彗星』と題された西島大介のこのイラストには、彼の高い作家性が表れている。彼の作品はその表層だけを手にとって眺めてみて、何だか意味がよく分からないまま、キャラがかわいいという理由で何となく消費されてしまうということが多いように思う。このイラストも例外ではないだろう。しかし、ここには批評的な視点で語られるべき優れたイマジネーションが込められている。 あなたはこの、一見してどこまでも地味な1枚のイラストに何を見るだろうか。青空。大きな雲。山の稜線。傘(日傘?)を差す女の子(たぶん)。草むら。セミの鳴き声。確かに『夏』かもしれないけれど、『彗星』なんてどこにも見当たらない。イラストとタイトルは一致していないように思える。しかし、そこで思考停止してはいけない。我われはこのイラストから無限の想像力を受け取ることがで

    西島大介 / 夏の彗星 - デイジーチェイン・アラウンド・ザ・ワールド
  • セカイの終わりも魔法次第 - デイジーチェイン・アラウンド・ザ・ワールド

    以下では西島大介著『世界の終わりの魔法使い』についてのネタバレを含みます。未読の方は回避を絶対に推奨。例によって解釈のひとつですので、そこんとこよろしく。なお、引用箇所の句読点は読みやすくするためにこちらで勝手につけたものです。 1.世界への反抗 作の主人公・ムギは魔法の世界の住人でありながら魔法を使えない。使えないにも関わらず、彼は自分の意思で魔法を使わないとして周囲に抵抗している。代わりに彼はエア・ボードという、魔法とは違う手段で空を飛ぼうと試みる。そして、それは世界への抵抗という意味を持つ。以下は先生からムギへの最期の言葉であり、作のほとんどすべてといっていい箇所だ。 つまり、世界がわれわれを無視しつづけるのと同じように、われわれもまた世界を無視しつづけるわけだ…。しかし、例えば一冊のを読むことはそれに抗うことだよ。一冊のを著すこと、一篇の詩を詠むことは、世界に無視され消えて

    セカイの終わりも魔法次第 - デイジーチェイン・アラウンド・ザ・ワールド
  • poetry, criticism & “blah blah blahs” - デイジーチェイン・アラウンド・ザ・ワールド

    西島大介著『土曜日の実験室 詩と批評とあと何か』収録『サブカルvsオタク最終戦争』についてのネタバレ考察です。読まれる方は、以下の内容が数ある解釈のうちの1つでしかないということを念頭においてください。 1.はじめに 『サブカルvsオタク最終戦争』。この作品はマンガだろうか?マンガだとしたら実に奇妙なマンガだ。コマ割りがなされていて一見マンガとしての体裁は整っているが、この作品にはセリフらしいセリフはたった1つだけしかなく*1、2人の主要な登場人物に付随する吹き出しからは、掛け声ともつかない奇妙な発声だけが表出してくる。 中身の方はどうかというと、2人の少女風人物が奇妙な戦いを演じ、それを謎の生物が傍観していて、そうこうしているうちにいつの間にやら勝負に決着が(たぶん)ついていて、そのまま唐突に終わってしまうという9ページの作品だ。ちなみにラストは見開き2ページのため、物語としては実質8ペ

    poetry, criticism & “blah blah blahs” - デイジーチェイン・アラウンド・ザ・ワールド
    mon-sun
    mon-sun 2007/06/12
    >『さっ』『ブゥゥ』『ブブブ』『ブゥ』『カッ』『るぅっ!』『タッ』『タッ』『いっ!?』『おおおぉ』『たぁっ!!』『くっ…』『サッ』『イィィィ…』『シュゥゥゥゥ…』『せっ!』  気付かなかった…
  • 東浩紀×伊藤剛対談『テヅカ・イズ・デッドからゲーム的リアリズムの誕生へ』ダイジェスト版

    はじめに さる2007年6月5日に行われた東浩紀と伊藤剛の対談「『テヅカ・イズ・デッド』から『ゲーム的リアリズムの誕生へ』」のダイジェスト版と私的な感想をまとめた。すべてを網羅するのではなく、個人的に印象に残った部分のみを断片的に抜き出すようなかたちになっている。これはエントリの目的が対談のレポートにあるのではなく、個人的な感想を述べることがメインになっているからである。 抜き出した部分にはこちらで勝手にタイトルをつけて、大まかな性格を与えた。まずは“1.『ゲーム的リアリズムの誕生』について”。ここでは、東浩紀自身が自著についての説明を行った箇所のみを引用している。来は、対談の中での伊藤剛とのやり取りの一部分にすぎなかったものだ。しかし、『ゲーム的リアリズムの誕生』の読者にとってはある程度参考的な内容となるのではないかと思う。 “2.キャラクター文化にとっての美とは?”とその次の“3.

    東浩紀×伊藤剛対談『テヅカ・イズ・デッドからゲーム的リアリズムの誕生へ』ダイジェスト版
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