4月から美大の学生になった。 美大といっても、大学生と一緒に通う形のもんじゃなくって、ムサビが社会人向けにやっている各種学校のほう。 普通に19歳と一緒に美大に入るには、私にはほかの生活がありすぎるので、1年分のカリキュラムを、私は週2日づつ2年かけてやってる。 これは人生のリベンジなんである。 とにかく、どうやったって絶対絵を描きたくて、学びたいのは美術で、ほんでもって高校の美術の先生も「君は絶対美術系に進みなさい」って言ってくれてたにもかかわらず、親に強固な権力行使をされて普通大学にしか学費を払ってもらえなかった。ってか、それ以外は選択の余地なしで、父親のDVも恐ろしかったので、そうするしかなかった。 今の時代、得意なものを探せ、やりたいことをみつけろ、進路を早めに定めろってさんざん言われてるのに、当時、それをちゃんと高校一年生から定めていた私は、ちっともやりたいことなんて選ばせてもら
4月6日(水曜)、テキサス州ヒューストンから、アリゾナ州フェニックスの空港を乗り継いで、深夜23時にカリフォルニア州サンノゼの空港に降り立った。月曜、火曜とヒューストンで行われた石油産業におけるロボットの応用可能性に関する展示会を終え、水曜には、大手石油会社を中心に集まったロボット業界団体の北米支部に出向き、ディスカッションに参加した。20人くらいのCEOが集まったが、周りはみんな白人で、日本人、いやそれどころかアジア人は僕一人だった。 サンノゼの青空と6杯のコーヒーと新たな日々 到着ゲートを抜けて外に出ると、どうやら日中は30℃を超えていたせいもあって、生暖かい風が頬を撫でた。やっとサンノゼに帰ってきた。澄んだ空気と、どこまでも深い群青色といった感じの星空を見て、無事ホームグラウンドに帰ってこれたことを喜んだ。 日本人エンジニアと一緒に、ロボットが入った大きなスーツケースを引きずりながら
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