1939年、日中戦争の従軍中に撮影された小林太郎氏の写真(8月8日、京都市北区・立命館大国際平和ミュージアム) 日中戦争に約2年間従軍した男性の日記が、遺族から立命館大国際平和ミュージアム(京都市北区)に寄贈された。中国軍の敗残兵や農民を殺害した「加害の日常」を淡々とした筆致で書き残しており、ミュージアムは「普通の市民だった末端の日本兵が、罪の意識もなく残虐な行為に及んでしまう戦争の恐ろしさを伝えている」としている。 京都市伏見区に司令部があった陸軍第16師団第9連隊に歩兵一等兵や上等兵として所属した小林太郎氏=1972年に61歳で死亡。37年8月に召集されて39年8月に帰国するまで、天津の戦闘や南京占領などに加わった。出征当時は27歳で、京都市左京区に本籍があり、前年に日本大学工学部を卒業していた。 日記は縦23センチ、横19センチで厚さ6センチ。従軍中のメモを帰国後にまとめたとみられ、
![日中戦争の戦地で何が起きていたのか 従軍日記に「加害の日常」淡々と|社会|地域のニュース|京都新聞](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/080efdab483669b361ea232983cebca291d2fb29/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fkyoto-np.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F0%2Fa%2F1200wm%2Fimg_0aaebe588f0cfa634f2a3af44c336e92663236.jpg)