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地震に関するmoneycubedのブックマーク (4)

  • 神戸の映像はまだか!阪神・淡路大震災 空白の時間帯に現場で起きていたこと|NHK取材ノート

    「ご覧いただいている映像は、地震が起きたときの神戸放送局の放送部の様子です」 画面全体が激しく揺れている。机も椅子も棚も波打つようにスライドしていく。 「大きな揺れが繰り返し襲っているようです。いろいろなものが棚から落ちたり机から落ちたりしています」 放送局の泊まり当番で仮眠中の記者に向かって棚が倒れてくる。 記者が間一髪に飛び起きると、次の瞬間、周りが真っ暗になる。停電だ。 直後、記者は電話へと飛びついた。 1995年1月17日午前7時に放送された、朝の全国ニュース「おはよう日」。 震度7を観測した阪神・淡路大震災の揺れのすさまじさが初めてテレビで全国に伝えられた瞬間だった。 地震発生からすでに1時間あまりが経っていた。あの日、いったい現場で何が起きていたのだろうか。 錯綜する情報 混乱する現場午前5時46分。阪神・淡路大震災が発生。 NHK大阪放送局がテレビとラジオで放送を開始した

    神戸の映像はまだか!阪神・淡路大震災 空白の時間帯に現場で起きていたこと|NHK取材ノート
  • 関東大震災映像デジタルアーカイブ

    With the aim of sharing knowledge about the historic disaster and its impact on society via moving images, this website offers a selection of films of the Great Kanto Earthquake of 1923 which have survived over the century and are now part of the collection of the National Film Archive of Japan.

  • 阪神・淡路大震災がもたらした「正の遺産」とは

    25年前の阪神・淡路大震災は、6000人を超える犠牲者と全半壊家屋約25万棟、10兆円を超える甚大な被害をもたらしました。しかし、「負の遺産」だけでなく「正の遺産」も残しました。大震災がもたらし、私たちが引き継いだ「正の遺産」とは何でしょうか。 阪神・淡路大震災をきっかけに災害ボランティアが定着したため、1995年は「ボランティア元年」と呼ばれています。ボランテアの延べ人数で、阪神・淡路大震災が167万人、東日大震災が550万人など復興の助けになっています。地震だけでなく、豪雨被害でも民家の泥かきなどに活躍しています。 【震度階級に「5強」などを新設】 震度0〜7の8段階が設けられた1949年は観測員が体感で測っていましたが、1980年代後半から震度計による計器観測を取り入れました。阪神・淡路大震災時、震度階級は8段階のままでしたが、1996年4月に体感による観測を全廃し、震度計による観

    阪神・淡路大震災がもたらした「正の遺産」とは
  • 1.17 再現/阪神・淡路大震災:朝日新聞デジタル

    1995年1月17日午前5時46分。 あのとき、もし私たちの手元にスマートフォンがあったなら、阪神・淡路大震災はどう伝えられただろう。 地震発生後に起きた事象を時間ごとに、当時の写真や動画で追いながら、あの日を再現する。 ※ページ内には当時の被害に関する映像・音声を使用しています。

    1.17 再現/阪神・淡路大震災:朝日新聞デジタル
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