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ブックマーク / mazmot.hatenablog.com (3)

  • 中学受験は、やっぱりおかしい - 基礎教育が目指すものと評価基準の乖離 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    「成長」というとらえどころのないもの 教育が目指すものは、なにはさておき、人間の成長である。人間の成長を支える介入を教育とよぶ、と定義しても差し支えないほどだ。原理的に、これに異を唱える人は多くないだろう。多数の人が教育を人間の権利とし、それを提供することが社会の義務だと考えるのも、それが人間を成長させるからだ。人間は成長する権利をもつのだし、成長を支えるのは社会である。生物はその基特性として成長するのだし、社会的生物である人類はそれを構成する個人のそれぞれの成長によって成り立っている、ともいえるだろう。 ここに、教育を評価する根的な困難が存在する。というのは、人間の精神的な成長は、容易に測定できない。さらに、介入が効果を上げたかどうかの測定は、それ以上にむずかしい。というのは、およそ人間は、教育なんか受けなくったって、それなりには成長するからだ。だから、仮に精神的な成長が観測されたか

    中学受験は、やっぱりおかしい - 基礎教育が目指すものと評価基準の乖離 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
  • 中学受験は、そろそろ根本的に変わったほうがいい - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    役に立ってない中学受験勉強 中学受験はおよそ害悪だ。私がそう思う理由は単純だ。それが子どもたちの役に立っていないからだ。中学受験制度そのものは、それは何らかの役に立っているのかもしれない。少なくともそれを実施する私立中学校にとっては、メリットがあるはずだ。そうでなければやらないだろう(そのメリットも、後述するように怪しいものではあるけれど)。けれど、当事者のもう一方である子どもたちにとって、得られるものは「合格」以外のものはなにもない。そういうものだと言ってしまえばそれまでなのだが、じゃあ、合格競争のためだけに貴重な時間を無駄にすることはどうなのか、ということになる。私はそれを害悪だと思う。 なぜ、「子どもたちの役に立たない」というのか。それは、家庭教師としての経験からだ。私は中高一貫の私立中学・高校の生徒の指導にあたった経験が過去に何件もある。いずれも中学受験を無事に突破した生徒たちだ。

    中学受験は、そろそろ根本的に変わったほうがいい - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
  • 太陽光発電は終わったのか? - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    太陽光発電に関する政策を巡っては、当初から現在に至るまで、誤解が絶えない。そして、太陽光発電は、誤解をもとに持ち上げられたり批判されたりしてきている。太陽光発電そのものは持ち上げられるべきものでも批判されるべきものでもない。それに関する政策には、いろいろと批判されるべき点も多い。だが、現在多くの人が口にする批判の多くは、誤解にもとづいたものだ。だから、最大の批判はそれら多くの誤解が発生するに任せ、それを是正しようとしていなかった点にあるといってもいいのだが、それをいっちまったらもう何がなんだかわからなくなるだろう。ともかくも、正当な批判は、少なくともマスコミやその周辺に群がる一般のあいだにあまり見られない。そして、見当違いの批判が人口に膾炙する。 こういう状況を見て、いっぺんはこのブログでも太陽光発電をめぐる政策についてきっちり事実を確認し、その上で批判しておかねばならないと思っていた。思

    太陽光発電は終わったのか? - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
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