2022年11月25日のブックマーク (1件)

  • 森富子著『森敦との対話』を読む

    森敦は横光利一門下で太宰治・檀一雄らと同人雑誌「青い花」を創刊。世代的には無頼派とかなんだろうけど、この人は一回パッタリと書くのをやめてしまって、40歳になるまで意識的に書かなかった人だ。 森敦が1974年に62歳で最高齢芥川賞をとったとき太宰と親交があったとコメントしていた。 森敦の回想(『わが青春わが放浪』)によれば、檀一雄と太宰治と森敦は「絣三人組と呼ばれて、文壇に悪名を流すことになる」ほどの交遊ぶりであった。やっとのことで出た『青い花』に、太宰治は「ロマネスク」を発表し、「これで太宰治の文壇進出は、ほとんど決定的なものになった」というのである。その頃すでに森敦は『酩酊船』で文壇デビューしていたが、その後はなぜか放浪を続けて文壇からは遠く離れていった。 そして、太宰治があれほど激しく望んで逃した芥川賞を、40年後、森敦が「月山」で受賞して「文学に帰って来た」のだから、まるで両端にある

    森富子著『森敦との対話』を読む