雨季のバンコク2泊4日旅行記 夏は苦手と言いながら、春先の憂鬱を吹き飛ばしたくて、今年も海外旅行の予定をいれてしまった。昨年20年以上ぶりに海外に足を伸ばし、旅をすると人生の栞が増えることを実感してから、だんだん旅が好きになってきたように思う。 今年の行先は雨季まっさかりのタイ・バ…
小学3〜4年の頃だっただろうか。父から初めて、4冊を伝記を買ってもらった。 それ以前に、簡単な伝記風読み物の載った絵本のようなものは読んだことがあったが、1冊で1人を扱い、イラストも少ない本格的な子ども向け伝記を買ってもらったのはそれが初めてだった。 今調べてみると、ポプラ社の「子どもの伝記全集」のうちの4冊であったことがわかる。こんなことがネット上で簡単に調べられるようになったとは、いい時代になったものだ。 父が買ってくれたのは、「キュリー夫人」、「コロンブス」、「豊田佐吉」、そして「キリスト」であった。選んだのは父だ。 今からみると、このラインナップは興味深い。当時小学生であった私に何を読ませたかったのか、何を与えたかったのか、が、今になると見えてくる。親が自分の最初の子どもに初めて与える伝記は、子どもへのメッセージでもあった。もちろん、子どものほうはそんな難しいことは当時は皆目分から
小学校英語 前口上 小学校で英語を教えること自体には私は反対ではない(かといって積極的に価値を見いだしてもいないが)。しかしながら、現在の文科省周辺の必修化へ向けた動き、各自治体のなし崩し的な導入、および関連学会(具体的には、小学校英語教育学会と児童英語教育学会)のあまりにも「導入ありき」の態度には断固反対である。正直に言えば、「頭があまりよろしくない」と思っている。しかし、賛成派を居酒屋談義の肴としてバカにしているだけなのも虚しいので、電脳上で積極的に政治活動をすることにした。 まず、対象は大学生。小学校英語に関するレポートや卒論を書こうとしている学生さんに参考文献を紹介しようと思う。ただ、「小学校英語」関連の書籍は多数出ているが、はっきり言って玉石混淆である。酷いものは酷い。本当に酷い。しかも賛成派・反対派いずれの立場からも酷いものが出されているから困ってしまう。そのような本を最初
昨日の続きと言うか、考え直し編です。 簡単に昨日のお話をおさらいしておくと、のぢぎく県の中東部にある丹波市でも御多聞に漏れず医師不足が深刻化し、とくに小児科医が丹波市だけではなく周辺の篠山市、西脇市、三田市まで含めて払底している事を住民は目の当たりにする事になります。そこで起こったのが小児科医招聘運動、ここまでは全国各地で行なわれています。署名を集め首長に陳情するパターンです。 従来の運動は町内会組織を動員して署名をかき集め、医者を要求し、もし要求通り医師が来れば、「医者がそろったので365日24時間の時間外診療を直ちに再開せよ、我々は不便である」と要求が直ちにエスカレートし、赴任した医師を擂り潰す展開になります。このパターンは既に全国各地で繰り返され、ネット医師の間では医者よこせの署名運動と聞いただけで揶揄嘲笑の代物と唾棄しています。 ところが丹波市で行なわれた医師招聘の署名運動は一味も
日ごろ「ブログ何とか何とかには興味ナイよ」みたいな顔してますワタクシですが、今日はちょっと気が向いたのと自分の半径ワンクリック内がすごいこっちゃなので心をたいへん炒めているので書きました。ジュー。「罵倒表現は否か」という話で私の意識するはてなのかたがたが、ややガヤガヤしているので、それについてです。大体の主張を大雑把に分類してみました。なんか変だったら突っ込んで下さい。あと文字は手書きなので読みづらいかもしれません。いやはっきり言うけど読みづらい。私は字が下手だ!文句がある人は手直しするといいです!追記やっぱ読みにくかったと思うので、ていうか文句ある人は手直ししろってそもそも読めねえよ!どないやねん!と自分ですら思ったので、画像を少々直しました。下のほうに続きを読む記法で畳んでますので見て下さいまし。きちゃない字を褒めてくれた方ありがとうございます(笑まず四つに分類だ!たての軸が「罵倒表現
日頃から思ってるコトを書いてみる。 自分はフツーの会社員です。 カタカナの洒落た職業じゃありません。植木等の歌に出てきそうな典型的な会社員です。 フォトショ使えません。 イラレ使えません。 キャンパス使いません。 楽器弾きたいけど下手です。 歌はカラオケレベル。 絵描くのは好きですが下手です。 でも、いろんなデザインを眺めたり自分で考えてみるのは好き。 アートも見るのも好きだし、幾何学な写真撮るのも好き。 アーティストとデザイナーを一緒にするつもりはないんだけど、ああいう人たちは一般人を排他するような目で見るのだろう。 間口が狭いというか、オープンでないというか。 あるクリエイター系SNSに入ってみたく招待状を下さいと親しい人にお願いしてみたが。 「君は一般人だし、そういう職業に就いてない人は招待できないよ」 と言われた経験がある。 そういう職業てなんだ? そういう職業って。 クリエイター
http://anond.hatelabo.jp/20070313112314 これ、実によくわかる。 ブクマコメントにも書かれていたけど、教育というものは誰もが経験する――最初に教育される側、のちに教育する側として――が故に、誰もが教育について語ってしまいがちになる。しかし、「自分が語っている教育とは何なのか」については、案外みんなよく知らない。教育学をかじったことのある身としては、そういう「よく知らない」人たちの話が聞くに堪えないことはよくわかる。 だがしかし、だ。 「せめて教育六法読んでから出直して来い」、「そういう話がしたいなら学問的なルールの上でお願いします」というのは、ちょっともったいないんじゃないかな。 もったいない理由は次の2つ。 (1)「**でなければ語る資格はない」という言説になってしまっている。 この場合は、教育を語るには教育学の基礎知識がなければならないという議論に
数学科のひとに、数学でケンカしたいと思いますか?法学部の人に、日本の法律についてウンチクたれたいと思いますか? ……なんで教育学部の人に、教育に対してケンカを売ろうとする人が多いのだろう、と思います。居酒屋レベルでないところで教育についてウンチク垂れたいなら、せめて教育六法読んでから出直して来い。社会教育と学校教育と生涯教育の違いくらい自分で定義できるようになってから文句を言え。 教育学部にいると、最近の教育に対する不平不満をなぜか「分かってないお前らに俺が教育してやる」といわんばかりの上から目線で、まるでそれが世界の常識のように語る人がいるのでうんざりします。 私達が勉強しているのは、教育学、なので、そういう話がしたいなら学問的なルールの上でお願いします。
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