西武優勝までのマジックが「4」となって迎えた9月18日からの3連戦。ソフトバンク・秋山幸二監督が最も頼りにしたのは、はえ抜きの小久保裕紀でも松中信彦でもなく、5番を打つ多村仁志であった。 第1回WBC代表の4番候補と言われたほどの素材に王貞治監督がホレ込んで多村を獲得したのは、4年前のこと。 名門・横浜高時代からその素質は折り紙つき。しかし'95年の横浜ベイスターズ入団時から期待されながら、「あそこが痛い、ここが痛いの多村」と言われるほど故障が多い選手だった。ソフトバンク入団後、秋山幸二コーチ(当時)の猛練習についていくことでケガに強い多村に変身しようとした。 こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。 NumberWeb有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り: 617文字 NumberWeb有料会員(月額330円[税込])は、この記事だけでなく NumberWeb内のすべての
![多村仁志を変貌させた、優勝への「飢餓感」。~故障なく7年ぶりVの立役者に~(永谷脩)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/c41cca70811f515f5748ec208cb51ca5c4c1abb0/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fnumber.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F5%2Fe%2F-%2Fimg_5e208dfadfd96fe37003c2e711b4c5cf233019.jpg)