社会人とは「評価軸」が「多極化」することである !?:いつまでも「私は頭が悪い」といっていると損する話 : 「私は頭が悪いから、XX大学に行けなかった」 「あの人は、YY大学にいってるんで、頭いい」 ・ ・ ・ 学部生の方々と話していると、時折、出てくる会話です。 まぁ、謙遜しておっしゃっているのかな、と思いつつも、こうした会話を耳にするたびに、「頭がよい」「頭が悪い」ということについて、ふと、立ち止まって考えてしまいます。 ここで学生さんたちが「頭がよい」「頭が悪い」とおっしゃっているのは、ざっくりと単純化していえば、 「頭がよい=偏差値が高い=試験でよい点がとれる=いわゆる、よい大学に入れる」 「頭が悪い=偏差値がそれほど高くない=試験でよい点がとれない=いわゆる、よい大学に入れない」 ということでしょう。 でも、僕には、どうも、この「頭のよい / 悪い」の定義がしっくりこないのです。
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