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グローバルに関するmorio4376のブックマーク (2)

  • アンチグローバルマッチョ宣言 --- うさみ のりや

    世の中に最近こんな感じのことを言う人が多い。 ○グローバルに激しい競争が起きている。 ○そんななか世界のエリートたちは寝る間も削って必死の研鑽を積み重ねている。 ○彼らは英語は当たり前で数か国語使いこなし、専門知識に長け、深い教養もある。 ○さらには文武両道でスポーツや芸術にもたけている。 ○そんな世界のエリートと比べて日はぬるま湯だ。東大なんていったところで、ハーバードやイェールの怪物の足下にも及ばない。 ○今や日よりも韓国やシンガポールの若者の方が世界に飛び出て戦っている。日はグローバルな競争に乗り遅れている。 ○日の若者よ!目を覚まして必死に学んで鍛えて、世界にはばたけ! ○最後に世界で戦うための秘訣を君たちに教えよう。(だから俺のを買え、俺のメルマガに登録しろ、俺のセミナーに出ろ。) 個人的にこういう思想を「グローバルマッチョ思想」と呼んでいるのですが、僕はこの手の主張が

  • グローバルな教養とは「本当は」なにか(與那覇潤) - 個人 - Yahoo!ニュース

    『COURRiER Japon』(クーリエ・ジャポン)2013年6月号(4月25日発売)の特集「世界に通用する「教養」を身につけよう」に掲載された、インタビュー記事の再掲です。「グローバル人材」の育成が強調され、大学の授業にただ外国語/外国人教員を取り入れさえすればよいかのような風潮に対して、一石を投じようとしたものでした。 「自国の歴史」を語れなければ、グローバルな教養人とはいえない最近、「教育のグローバル化」、「グローバル人材の育成」といったかけ声を、いたるところで耳にするようになりました。京都大学などは一般教養の授業の半分を、英語で行う方針を決めたそうです。 しかし、そのような“グローバル化一直線”の時代に、当に必要な教養とはなんでしょうか。 文化人類学に、「ハイコンテクスト/ローコンテクスト」という社会の二分法があります。ハイコンテクストな社会とは、多くのコンテクスト(文脈)を共

    グローバルな教養とは「本当は」なにか(與那覇潤) - 個人 - Yahoo!ニュース
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