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歴史と宇宙開発に関するmoritataのブックマーク (2)

  • ソユーズ1号

    男の友情 1966年1月。ソ連の宇宙開発を主導していたコロリョフの死は、現場を大混乱に陥れた。彼の存在は、あまりにも大き過ぎた…ライバルであったグルシュコが彼の死をどう感じたかはわからないが、そう急に、彼の力で収拾できるものではなかった。 しばらくの混乱の後、第一設計局の長として、長年コロリョフと行動を共にしてきたバシーリ・ミーシン(Vasili Pavlovich Mishin)が任命された。彼はコロリョフがドイツに視察に赴いた際(開発史(4)参照)からの盟友で、コロリョフの主席補佐を務めてきた。技術者としての力も強く、R-7ロケットを作り上げたのは、実質彼だとまで言われる。 当時、ソ連の宇宙開発は行き詰まりを見せていた。1965年のウォスホート2号の飛行が危機一髪だらけであったことから、同型の宇宙船への信頼性が揺らぎ、その後の計画が疑問視されていた。ミーシンの初仕事は、それらを正式にキ

  • 【レポート】「おおすみ」40周年記念シンポジウム - 1kgの小型衛星打上げで賞金1億円? (1) 日本の宇宙科学を牽引してきた3人の宇宙工学者 | エンタープライズ | マイコミジャーナル

    「おおすみ」を打上げたラムダ 日初の人工衛星「おおすみ」が打上げられたのは、今からちょうど40年前の1970年2月11日のことだ。これを記念して、宇宙航空研究開発機構(JAXA)は2月7日、国立科学博物館(東京・上野)にてシンポジウム「日の宇宙科学の歴史 ペンシルからラムダ、ミュー、そして未来へ」を開催した。 講演者は、秋葉鐐二郎(宇宙科学研究所名誉教授)、的川泰宣(JAXA名誉教授)、森田泰弘(JAXA宇宙科学研究部教授)の3氏。それぞれの世代で宇宙科学をリードしてきた、あるいは現在もしている宇宙工学者である。シンポジウムの最後には、会場との意見交換の場も設けられた。 国立科学博物館。今月末までは「おおすみ」の企画展示も開催されている 会場は満席。WEBで受付開始後わずか1日で定員(120名)に達したそうだ 何事も最初からうまくいくことなどないが、「おおすみ」の場合も、成功に至るま

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