鎌倉時代で最も有名な出来事と言えば、やっぱり【元寇】でしょう。 「お前ら、属国になれ」というモンゴル帝国の要求を二度に渡って拒絶。 その結果、 で【神風】吹いてバンザ~イ!と皆さん歴史の授業で習ったと思います。 ところが、台風ってどうなのよ、というのが最近の見方。 文永11年(1274年)10月5日に元軍が対馬・壱岐へ襲来して始まった――元寇とは一体なんだったのか? 本稿では「御家人たちが頑張りました」で終わりにせず、当時の背景や戦闘経過なども見ていきたいと思います。 鎌倉当時は「蒙古襲来」等と呼ばれていたまず「元寇」という名称。 後世になってから名付けられたもので、鎌倉当時は「蒙古襲来」や「蒙古合戦」などと呼ばれていました。 「元寇」という単語は江戸時代あたりに出てきたようです。 「寇」という字には「侵入してくる敵」という意味があるので、意味合いとしては「蒙古襲来」などとほとんど変わりま
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