1974年の春に南九州での最後の蒸気機関車(SL)の取材に訪れました。その帰路、八代から乗車した581系「有明」の指定席に行くと、私の隣のB席に、私よりは一回りも大きい恰幅の良い人がすでに座っていました。581系の昼の座席はご存じのように4席向かい合わせの窮屈なもので「何もよりによってデブが……」なんて自分のデブを棚に上げて心の中で思ったものでした。 出会いのきっかけは「中一時代」 すると隣の男がなれなれしくも、私のカメラバッグを見て「何を撮られているのですか」と話しかけてきました。私は少しご機嫌斜めながらも「ええ、蒸気機関車を撮りに来ました」と答えると、やおら内ポケットから名刺を取り出し「こういう者です。こんど昼メシでも食べにいらっしゃいませんか?」とさらになれなれしく言いました。 名刺には「旺文社『中一時代』副編集長 中村……」とありました。私の態度が豹変したのは、言うまでもありません